強制されたい趣味もあるのだ
好きな人は誰に頼まれなくても勝手にやってるよね! さすが復習に熱心だわあ~。そうやって強化されていくんだねえ。
「鬼滅の刃(上弦集結、そして刀鍛冶の里へ)」を観た後、漫画を開きながら「このシーンがこっちに来てて」だの「あのシーン、ほらここには描かれてないでしょ」だの「このシーン、音入れてなかったよね」だの熱心に夫に話していると、笑われた。
映画もTV放送も、観た後にさらに復習していると止まらない。
息子が競技プログラミング好きで、受験勉強すべき時からプログラミングを楽しみ始めていたようだ。今も大学の勉強をそこそこにしてでも楽しんでいる。
「息子クンは頑張ってるなあ」「真面目だなあ」と言う夫だけど、いやいやキミも思い当たるところがあるぞと指摘する。
夫もマラソンを熱心に楽しんでいたころ、どれほど周りの人たちに「ダンナさん走ってるの見かけたよ。エライね~」と言われたか。エライんじゃないよ。すごい頑張ってるわけじゃなくてさ。好きみたいだよ。と言ってもなかなか伝わらなかった。
周りからは努力に見えることでも、本人は好きとか楽しみでやってるから努力とも思ってはないんだよな。
それで言うなら私は文を書くこと。何かを目指しているわけじゃないし、うまく伝わってないんだろうと思うと力不足にイヤになることもあるし、孤独感に泣きたくなることもあるけど、それでも苦痛ではない。練習しなきゃとかも思っていないし、ネタに困るとかもない。誰かに頼まれたり、報酬発生したり、損得勘定なくても書かずにいられない。
でも他のこととなるとどうやらちがう。
ピアノとか手芸とかイラストとか「またやってみたい!」って思うのに、どうも強制されないとやらない。
絵のこと、いつかここに書こうと思うのにねぇ。全然上達しようとしないし、描こうと思うと練習とか努力とか頑張らなくちゃとか取りかかるまでの「えいやー!」が要る。
「えいやー」と向かったところで続かない。続かないと上達しないのよねえ。
上達の兆しがないと、ずっと同じ所にいるから、記録として書いて残すにはなんの面白味もない。
困ったなー。
じゃあそれって好きなことでもないんじゃないの。本当に好きってそういうことじゃないよね。
と言われそうだけど、その通りなのよねえ。
ピアノもまた弾けるようになりたいけど、弾きたい曲の楽譜を見て少し弾いてみて、こりゃ大変だわとあっという間に気が重くなる。母に教えてと頼むと「えええ~」と面倒くさそうだし、「指遣いがわからない」と言うと「適当で良いのよ」と言う。そうでしょうとも。弾ける人にはね。
手芸は少しは覚えているけど、とりかかるのが面倒くさいなーが勝っちゃう。じゃあ無理にやらなくて良いじゃないかと言われそうだけど、ちょっとまたやりたいのよねえ。
そこまで強い思いはなくてもさあ!
だから人は習いに行ったり、教えを請うたりするのだ。
ものすごくやりたいことや好きなことって自分で勝手にやっている。だけどそれより優先順位低くてもやりたいことってあるじゃない。
そういうのって宿題がほしいなあと甘えた気持ちを自覚する最近。
強制的にやらされて楽しいのかと言われたらよくわからないけど、多分好きではあるから楽しいし、次のステップに行きやすいと思う。
うっすら気づいているのだけども、多分出来上がった作品や、できている人に憧れがあるからなんだろうな。
そんな自分を思い描いているだけで、実際に行動に起こすかどうかが本当に好きかどうかの境目なんだろうけど。
別にもう本当に好きかそうでないかなんてわかっているから良いの。
そうじゃなくたって続けて上達したい「憧れ」には、強制されたいなあという願望。甘え。そんなものを感じつつやっぱり楽しみたいんだなあ。考えているだけで行動しないととかそこまでのものじゃなくてもさあ。
とかぐちゃぐちゃ書いている間にヴォーカルレッスンの再開する自分もいる。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。