アエロフロート航空でラトビア
ジーコJAPANが合宿したときですから、2005年。古い話なので、これからおでかけする方にはご参考にならないと思いますが、笑い話として。
金曜日の夜中に出発して月曜日に戻ってくるスケジュールで、最安値のアエロフロートに挑戦。当時のアエロフロートは「できれば乗りたくない」航空会社。周囲から心配されましたが、都市伝説を確かめるためにも1度乗ってみたかったのです。
都市伝説:機体がソ連時代の軍用機や各国のお下がり。しかし、ロシアの優秀な整備士が整備しているので安全。パイロットも軍仕込みで技術は抜群。
実際:確かに機体はボロボロ。機内でいちばん驚いたのは座席が寄せ集めだったこと。よく言えばカラフル。布貼りのとなりに革貼りの座席。テーブルは半数が壊れて使えませんでした。CAさんはサービスという概念はなく、ゴミは化粧室の付近に貼りつけてある袋に自分で捨てにいくシステム。パイロットの操縦はお見事。ふわっと着陸したときには都市伝説は本当だ、と思いました。
トランジットのシェレメーチエヴォ空港は改築前で廃墟のよう。電球は切れたら切れたままなので、薄暗く、窓も割れたままなので、外気入りまくり、鳥&猫入りまくり。袋菓子を開けると鳥に奪われます。
乗継時間は70分しかなかったのですが、トランジットはおそろしく時間がかかります。というのも裁判所みたいな部屋に1人1人呼び出されていろいろ質問されたあと小さい扉の向こうに行くように言われます。もう恐怖でしかありません。
今考えればアエロはいち早くLCCの概念を実行していただけなのかもしれません。成田第3ターミナルは外気入りまくりですし、機内サービスを簡略化しているLCCも多いですもんね。
行くまでまったく知識がなかった「ラトビア」ですが、首都リガは神戸市の姉妹都市だそうで、私がお話しした現地の人々は全員親日家でした。ソ連軍の捕虜だった日本軍が作った建造物は丈夫できれいな建物ばかりで、大戦でリガが焼野原になったとき、日本人が作った建物だけが無傷で残っていたそうです。
※リガ市街の階段は1段1段高さがまちまちです。日本では機械的に足を出すことが体にしみついていますが、それが幸せなことだと気が付きました。日本の感覚で階段を昇降すると確実に転びますのでこれから行く方はお気をつけください。「大戦のあとソ連軍がドドーとリガに来て半年くらいで味気ない道路と建物を作って去っていった。だからいい加減に作ったんだろう。日本人が造ったら正確な階段だったのに」とタクシードライバーも嘆いていました。
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