【コンセプト】姉さん、わたし、そして三女へ
25歳の時に、東村アキコ先生の「東京タラレバ女」を読み、衝撃を受けた。
当時人生迷いまくっていた私の趣味は占いだったが、どの占いよりも自分の未来を言い得て妙、という感じで、夜中に駆け出したい強烈な衝動に駆られたのを覚えている。
物語は、2020年の東京オリンピック開催が決まった2014年を舞台に、33歳の女3人組がオリンピックを1人で観戦するかもしれない未来に愕然とし、もがきながら幸せを模索していくというもの。
居酒屋のつまみである、タラとレバが喋り出し、主人公にダメ出しをする東村アキコ先生のセンスに笑いながらも、食い入るように読んでいた。
当時、主人公と同世代の女性たちは阿鼻叫喚だったらしい。
なんて漫画を描いてくれたんだ、と。
確かに普段見ないようにしている不都合な現実や、決して他人が言ってくれない鋭い指摘が数多く描かれており、笑いながらも確実に古傷をえぐられ、現在進行形で殴られ続ける感覚を覚える。
東京タラレバ娘を読んだ当時、私はまだ微妙な年頃ではなかったが、すでに自分にこうなる未来が訪れそうな予感はしていた。
タラレバ予備軍。
異性にはモテるほうではないことには既に気がついていたし、こりゃ早く手を打たんと“売れなくなるぞ”と。
自分の年齢を伝えたときの周囲の「若くて良いね〜」と言う反応から、若さ=価値であるという価値観がしっかりわたしにも根付いていた。
だからこそ、自分が周りから求められるうちに、相手を見つけなくてはという強烈な衝動に駆られた。
決して女だけが恋愛市場において商品というわけではない。
恋愛市場では誰もが手を替え品を替え、
“私はいかがですか”と相手にアピールするものだ。
“私”が売れるのは隣のA市場なのに、うっかりB市場に飛び込んで、声を張り上げてお客さんを呼び込んでも反応はない。
当時オシャレなアンニュイ男子ばかり好きになっていた過去のわたしに言ってあげたい。
アンニュイ市場では、元気印の大声女はお求めではありません、と。
話が逸れたが、モテない私は若さがあるうちに、その武器を使っておきたいな、と思ったわけだ。
もちろん生涯独身でいくという選択肢もあったとは思うが、当時そんな覚悟もできてなかった私は、恋愛市場での商品として、自分を売り込む決意をしたわけである。
そこから私は、なんやかんやあって、キャバクラ武者修行し、(その話はまた今度)、去年結婚した。(はしょりすぎだ)
現在は都内で弁護士の夫•やっちゃんと暮らしている。
共働きで多少のぶつかり稽古はあるものの、総じて楽しく暮らしていると思う。
東京タラレバ娘に出会っていなかったら、今の生活は無い、自分の中でそう思うことにしている。
強烈な動機を与えてくれた東村アキコ先生をなんだか勝手に姉さんのように思っている。
作品を通じて、姉さんに叱咤激励され、なんとかここまでくることができた。
先生をアキコ姉さんとするならば、
私は次女のような位置づけではないだろうか。
私の下にもまだまだ続く世代がいて、同じようなことで悩んでいるのでは、と想像する。
ならば、30歳という中途半端な年齢の私だから発信できることもあるのではなかろうか。
姉さんからの助言くらいの気持ちで聞いてもらえれば、反発しつつも、耳を傾けてもらえるのではなかろうか。
私も萬田久子、桃井かおりあたりを目指して年の重ね方を目下試行錯誤中だが、ぜひ年下の方々には直近の未来女として、参考にしてもらえたら嬉しい。
もちろん同世代の方々の共感やとても同い年とは思えねえなど、のお声も受け止めよう。上の世代の方々には、小娘の戯言を生暖かく見守る大人の余裕を期待したい。
かわさき牡丹、30歳、女。
次女、始めます。