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探究する人との生き方②ー止まる探究者と

自分の周りには目に見えて、結構身近にあれこれ探究している人が何人かいる。なんか大学生になって増えたと思っている。きっと、自分が認識できていないだけでほかにも色々考えながら生きているのだと思う。探究っていうのは高尚なものではない。みんな探究者なのだと思う。
ちなみに私の祖父は昨年、80代にして人生初、落花生を植えてみたと自慢げにゆでて食べさせてくれた。なんかそういうところすごく好きだなあと思う。

探究者との生き方シリーズを書いてみている。探究学習のプロというわけでは全然ないのだが、多分探究が自分も好きで、探究して生きている人が誰に頼まれているとかではないのに超身近にいるから書いてみたらどうなるんだろうって思って書いてみている。探究することは生きる事だと思っていて、生きる理由になると思うから軽い気持ちで読み進めて貰えると嬉しい。
今日のテーマは止まる探究者。
30分で書く。
よーいスタート。



開くパンドラの箱

探究していると、自分が探究しているものの良いところも悪いところも見える。その悪いところに悩まさせる時期や、空ける予定のなかった過去の自分のフタが急に開いてしまうことだってあるだろう。
うわあ知りたくなかったとなることも少なくない。
急につまらなく感じたり、もういいやって思う事もあるかもしれない。

探究をしていく中で思ってたのと違ったと思うことはいくらでもあると思う。例えば、学校の先生に憧れて教員を目指したとき、その過程で自分たちが学習者だったときには見えなかった部分がたくさん見えてくる。もはやそっちの方が多かったりする。だから私たちは「教育」というものを捉え直す必要がある。教育というものを教育者視点で捉え直さないと前に進めなくなる。

探究が止まるときは、理解よりも先に感情が勝ったとき

自分は今、こう考えるようにした。
サボっているように見えるかもしれないし、よく分からないように見えるかもしれないけれどそれはその人にとってすごく大事な時期なのかもしれない。
そしてとんでもなく強烈に現在地点をたたきつけられる時期でもある。
そこには自分の持つ背景が 絡んでくるし、葛藤があるだろうし、解決が求められる、というか自分自身が求めてくる。
自分が大人にならないと、自分が変わらないと、世界の捉え方を変えないともう一度進むことはなかなか難しいから時間がかかる。
ここ大事。
傷が癒えるのも、パンドラの箱が開いた状態に慣れるのにも、現実を受け入れるのにも、リアルを解決しようと覚悟を決めるのにも時間がかかる


焦り

これは興味を超えて「想い」が強くある事に関することについて起こりやすい気がする。
想いを持つほど、探究に焦りが生まれる。はやくしないと間に合わない、速くしないと。無知に罪悪感を覚える。目的が無力さを補うことになる。
課題解決の先ではなく、課題の中に埋もれたとき、深く深く沈む。
その想いは、暴力的な表現にはなるが胸ぐらをつかんででも、首の根っこをとっ捕まえてまで知って欲しい、理解して欲しいと思うことかもしれない。でも実際にそれをやるのはアウトだし、やったとしても何にもならない。怒り、悲鳴、悲観を怒り、悲鳴、悲観のままに伝えるのは根本的な解決にはならないということを知っているはずである。

頑張れていないとき

「頑張れてないって頑張れてることより凄く苦しい。頑張れてるって頑張れてないよりも楽なんです。だから近くで怠けてるように見える人のことを、怠けてるんじゃなくてサボってるんじゃなくて、戦ってるのかもしれないと思って欲しい」

SEKAI NO OWARI深瀬さん

この言葉を自分は結構大事にしている。というとすごくびっくりされたときがある。だからおごり高ぶっているわけではないけれどこの章は自分が書く意味がありそうだなと思った。
自分は小中高全て皆勤賞で(インフルなどの感染症は除く)&特定の分野への没頭癖があるので特に自分が没頭している分野で関わりのある方だとそう見えるのも無理はないかなあと思いつつ、そんなに鬼じゃない。笑
でも少なくとも、自分から見て頑張っていないように見える人に想像力を働かせて関わることができなくて、人に厳しい時期は間違いなくあったと思う。
だから自戒も込めてっていうのも含まれる。

人が人に頑張ることを求めるのは、いろいろな意味があると思う。
恵まれた環境にいる人が頑張っていないように見えると「いや頑張れよそれは」って思うかもしれないし、そこには妬みや羨みも含まれると思う。また、頑張れていない人が頑張れていない自分に嫌悪感を抱いて自分と似ている頑張れていない人に厳しくしてしまうということもあると思う。頑張っている自分でしか自分を保てないという課題を持っているのかもしれない。また頑張ることをやめてしまったらその人の未来が悪くなると思ってしまうという優しさがあるのもあると思うし、その人への不信感もあるかもしれない。

今のところ指標が「頑張れているか・頑張れていないか」になる。そして「頑張っている」が優位になる。
でもそれは一時的な評価だから、人から見ての評価だからそれはそれで受け止めて自己評価もすると良いと思う。
クロス集計。


いつか

明けない夜はないけれど、長い夜はある。
ただその夜もいつかは明ける。いつか、むくっと起きてくることがある。
そのときに、自分はどう関われば良いかっていうのを考えている時期があった。自分が今のところ出した答えは、探究者のそばにいる人がめっちゃいきいき生きていること。

ひさしぶりに起きた人に「おなかすいたんだけどなにかご飯ある?」って言われたら、高級なステーキ屋さんに行こう!と言うのではなく、ファミレスに行こうでもなく、「今ちょうどカレー作っているんだけど、隠し味りんごとチョコどっちが良いかな」って目をキラキラさせて聞けるがいいのかなって思った。そして、「珈琲はどう?」って言われても「いいね!!じゃあそれもいれてみよう!」って言いたい。
何でこう思ったかはまた別のnoteで書きたい。



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