避けれない痛みと共にプレゼントされたもの
高田敏子さんの詩がすごい言い得て妙だ。
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「海」
少年は沖に向かって呼んだ
「おーい」
まわりのこどもたちもつぎつぎに呼んだ
「おーい」「おーい」
そしておとなも「おーい」と呼んだ
子どもたちはそれだけでとても楽しそうだった
けれどおとなはいつまでもじっと待っていた
海が何かをこたえてくれるかのように
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子どもはそれをただ楽しみ、おとなはそれをすることによっての反応を待っている。それどころか見返りや結果を求めてる。そんなものありはしないのに。
また、子どもからおとなに変わっていく中で、主体性が徐々に失われていく。
ということをこの詩は表してる。(と思う)
ボクらは大きくなるにつれて純粋に楽しむことが少なくなったし難しくなった。仕事をしなければならない。家族を優先しなくてはいけない。思ったことをやると批判されそうだからしない。時間がない。疲れてる。お金がない。全ての判断基準は損得だ。「おーい」なんて大声を上げたら恥ずかしい。など理由はたくさんある。がしかしこれは言い訳を作り心と身体に枷をつけて、楽しまないのが正解であるとまで言えそうな空気を作っている自分の選択の結果だ。
楽しい人生がいい。
楽しくない人生がいい。
2択なら間違いなく楽しい人生を選ぶはずなのに、自らで楽しむことを制限しそれを自分の常識としているのが今の日本の典型的姿だ。
もちろん毎日ただ楽しいなんてはただの理想論。厳しい時も哀しい時もいら立つ時も怒り心頭の時もあるのが本来の人間。でも、もう少し日常に「楽しい」を取り入れていいんじゃね?と強く思うのだ。
これは自分のことでもあるし、子どもたちのためである。なぜなら、自分を縛る人生を歩んでいる人は自分以外の人間も縛ろうとするようになるからだ。シンプルに書くと「私は我慢してるのになぜあなたは我慢しない?」という思考が働くから。縛られた子たちは縛られたまま大きくなってその縛りをまた人に求めていく。もしくは間違った開放をして人間的情緒を失った人生を歩んでいく。それでいいのか?いいわけない。
だから、誰にとっても「今を楽しむこと」はとっても大切なのだ。
今よりもう少しでいいから楽しめる方向に行ってみよう。
今よりもう少しでいいから笑える方に行ってみよう。
ボクら人間は痛みを持って生まれてきた。でも楽しむことを選べる選択権も同時に与えられた。ならば、その選択権を行使しよう。
大丈夫。
ってか、サムネイルと内容の差ありすぎてウケる。
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