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機械として
ローンを満額まで借りるまでになってしまったので、不本意ながら働きに出ることにした。
職場は化学薬品工場で、ここでは3個しか入ってないのに、一袋800円くらいする高級入浴剤を作っている。
八時に集合して、ラジオ体操を社員含め、集められたバイト全員でする。ちょうど顔を上げると朝日が昇っているのが見える。爽やかな朝だと心から思う。労働を前にしてもこの一時は人間らしさが滲み出てるように思う。
手を洗い、髪の毛が落ちないように、ブラシが陳列されたケースから自分のブラシを取り、髪の毛をブラシですき、毛を落とす。眉毛シールで眉毛の毛をペタペタ取り除き、頭に化学繊維のキャップを被る。
さらに服に着いた塵や髪の毛などをコロコロで全て取り除いたあと、白い作業ツナギを着て、キャップの上から目出し帽のような帽子を被る。
そのあとにエアシャワーを浴びて、作業場に入る。
作業場は色々あって、商品に欠けているところや、小さな黒い粒(2mm以下)などを見つける検品や、商品として出てきた物をバーコードでスキャンして段ボール箱へ詰める持ち場などがある。
同じ持ち場のアルバイトは今日は五人。内男性私一人。今日は人手が多くて安心した。以前ここで働いたときは作業開始と、とき同じくして、一人体調不良で帰宅し、忙し過ぎて死ぬ目を見たばかりだったのだ。
作業場は部屋の中央に機械が鎮座しており、その機械を社員が操作している。部屋を縦横無尽に横切るようにつくられた機械からは、パッケージの中に洗浄剤が三錠入った商品が、もやは人間の息継ぎより早く、ベルトコンベアーに乗って吐き出てくる。その商品を熟練のバイトが、ベルトが回る機械のローラーとローラーの間に挟むと、商品はベルトの回転の力で下流へ運ばれ、封をされて下流で商品番号を機械が印字する。この時挟む角度が斜めになってたり、機械が故障していたりすると綺麗に商品番号は印字されない。
その印字が正しくされているか、チェックしながら、秤に載った青いボックスに160個ぴったり入れるのが私の仕事なのだ。5個づつ手に取り、それを軽く揃えてボックスに入れる。それを10回箱の中に入れると、ピッタリ箱が埋まり、建物で言うところの一階部分が建築される。これで50個なので、160個にするには、3階建てにして、おまけの屋上庭園10個分が必要なのである。
この商品であるが、5個束にする時に雑に揃えると、箱に入れた時に雪崩のように横に滑り、綺麗な5個の小さな塔は崩れ去るのである。だから極力綺麗にいれるようにしていた。
作業ラインがもう一つ私の後ろにある。箱は私の隣の一箱しかないから、後ろの商品を入れる時はちょっと手間だが移動しないといけない。後ろで商品を束ねていたのは、多分20代くらいの紫のネイルをした若い子で、ちょっと雑な子で箱に入れる時の勢いが良すぎて、五個の束の雪崩が頻繁に起こるのである。私が慎重に作った塔も崩してしまう。一階あたりぴったり10回ずつだから一度地盤が崩れた所に綺麗な塔を築くのはなかなか困難だ。
沸々と怒りがこみ上げてくるが極力平常心を保ち、表情に出さないようにする。これも勝手にこちらが退屈な長い時間をいかに楽しくやろうかというある種のゲームを勝手に作り出しているのだから不平は言えない。
それに結局、秤があるので、最終的に0に近づければ良いのである…。
しかし綺麗な小塔が50塔の3階建て、屋上に10本の木々が生えた時の完璧さといったら…
想像の中のサクラダファミリアを創造した気持ちであった。
それから昼が来て、午後も同じ仕事をして、終わりの時間になった。帰り際に例の二十代くらいの子に「お疲れ様でした」と言ったが、何の返事もなく去って行った。確かに何かを警戒されてもおかしくない立場にいる事は重々承知である。何か諦念にも似た気持ちで、左から右へ事象がただ過ぎゆくような感じがするだけだ。自販機でコーラを買ったら110円だった。
ライン作業は機械が中心に動いて人間が機械に合わせる働き方が、産業革命時代の労働のかたちを留めているようで、19世紀の労働者の気持ちになった気がする。人間の尊厳は機械によって奪われているのか。そんな高尚なことは良く分からないが、個人的には、久しぶりに社会活動してむしろ人間の尊厳を取り戻した、という気分であった。
それは冬の畑に朝日が降りそそぐ爽やかさである。