合理的な説明・古代文明に遡る人類の罪の根元

世の中に何か災厄が降りかかると、そのことに何か意味があるかのように説明しはじめる人々がいる。大地震や大洪水、そして病気の流行。「地球が人間に対して怒っているんです」とか、「これは時代の変化を促す起爆剤のようなもので…」等々。そのような説明は本当に真面目に聞く必要があるのだろうか?一ミリでも耳を貸す必要があるのだろうか?

聖書によれば人間は神の怒りにふれてノアの大洪水に襲われ、生き延びた一族の子孫が私達なのだという。ノアの洪水はメソポタミアの神話にも登場する。人間に怒りを覚えた神々は会議を開き、人間の数を減らす計画を立てる。

宗教や哲学、思想において、災難や不幸に何か特別な意味づけをすることは一般的なようだ。

災害ばかりではない。創造神話や人類の創造においても、意味づけがなされる。人類最古の古代文明、メソポタミアの神話によれば、神々が2つの派閥に分かれて争い、決着がついたのち、勝った側の神々が相談して人間を作ろうということになった。それまでは神々が労働を行っていたが、めんどくさくなったのか、働き手が欲しくなった。かくして、戦いで負けた側の神、キングーの血液を原料に人間は創造された。露骨すぎる!彼らにとって、人間は労働力(ロボット)なのである。(ロボットの語源はチェコ語の"働く")

さて、そのような意味づけにどのような意味があるのか、それを論じたい。

メソポタミアの神々はジッグラトという神殿に祭られた。彼らは実際にそこで眠り、食事をすると考えられた造りになっている。食事の最中はカーテンが下ろされ、プライバシーが確保された。人間の王もまた、同じ扱いを受けた。神、もしくは神に近いものとされた。神殿や食事、必要な物資はもちろん、民衆からの税によって賄われる。これは、王権が神によって正当化され、当然のこととされる。マルドゥクという神の神像が王の威光を高める。王様のような見た目の神が、ムシュフシュという龍を従えている。後の時代のヨーロッパにおける王権神授説に繋がる。イギリスのホッブスのリヴァイアサンは王権を水に棲む龍のような怪物に例えている。力を持ったのは王権ばかりではない。司祭は神殿を持ち、銀行の役割も果たした。利子を取り、富を蓄えた。

労働者階級と非労働者階級、その違いを明確化する、それが人類創造の労働力説だ。神に近い人間、王や司祭は働かなくても当然とする。

このように、人間の存在や災厄など、何かしら意味を持たせたがる人々は明確な目的を持って意味づけを行う。なんとなく正しそうな意味を考えるのではない。ある事象を正しいことであると認める為に意味を作る。自分たちの"たかり"を正当化する。

人間は弱い生き物だ。親しい人の死や世の中への不安、ショックな出来事、何かしら説明を求めてしまいがちだ。占いや宗教、哲学、心理学など、もっともらしい説明に聞き惚れてしまう。これはとても危うい。
私が思うに、不幸というのは二重底になっている。ある1つの不幸を経験したら、あなたの不幸を利用して利益を得ようとする人がいる。

たかり屋達に騙されてはならない。ある1つの不幸を経験したならば、己の気持ちに蓋をして無理やり前に進もうとせず、ちゃんと向き合う必要がある。早く前向きにならなきゃとか、焦る必要はない。気持ちの回復に近道などないのだから。

今、あなたや私の身の回りの大切なものを、1つ1つ確かめていくしかない。













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