夏休みまではあと1週間。 梅雨が明け、とても暑い夏が僕たちを抱きしめる。外にいるとなんだかバスの横にいるみたいで「早く帰りたいな。」と思い、夏から逃げるのだが、そのせいで汗をかいてしまっていつも逃げ遅れる。 そんな地獄のような夏が始まっても夏休みという"楽園"にはまだ行けず、教室から窓の外を見ていた。 窓の外の世界は遠くの雲が動いていないように見えて、暑さのためか外に誰もいなかったので時間が止まっているみたいに見えた。 夏は嫌いなのに僕もそっちに行きたかった。
一昨年好きだった人が聞いてたミセスの ロマンチシズムはキラキラしすぎてて聞けないし、 去年気になってた子が好きだったスピッツの桃は寂しすぎて聞けない。 ましてやこの前フラれた元カノが好きだったaikoのアンドロメダなんかは胸が窮屈になるほど締め付けられるから聞けるはずもない。 たくさんのアーティストが曲を出す中、僕は恋をするせいで聞きたい曲を狭めている。 明日は聞けるかな
セックスという行為がしたいから彼女が欲しいんじゃない。 手を繋いでお花畑に行ったり、 夏でもハグをして体温を重ねたり、 ただ単純に好きな人に好きって言いたいから彼女が欲しい。
ずっと前、大好きだった彼女と別れた。 楽しかったようで楽しくなかった、振り回された初恋だった。 「人生は出会いと別れの連続」であるのだから別れは仕方ない。 しばらく経って彼女との写真や一緒に遊んだゲームアプリ、LINEのトークなどあらゆる思い出を消した。 人なんて忘れる生き物だ。いっそのこと全部忘れてしまった方が楽だった。 また月日が経ちようやく過去にしがみつくこともなく今を生きるようになってきた。完璧と言っていいほど忘れ、友達と過ごす時間が多くなってきた。 ある時
クリープハイプの「四季」にある 「熱くて蹴っ飛ばして 寒くなってまた抱きしめたりして叩かれて干されてもまた包んで 布団みたいな関係」 って言う歌詞が死ぬほど好き
空がお風呂に入ったから 今日はやけに星が綺麗に見える。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。 これを耐えても決して明るい未来が待っているわけではない。悔しい。 明日祝日でお休みなのにも関わらず鼻詰まりが僕の息遣いを荒くさせる。こんなことを言っているうちにも鼻詰まりは僕の呼吸権を奪おうとしてきて簡単には離れてくれない。 鼻詰まりは悪だ。 どの正義にも当てはまらない。悪のヒーローは彼らなりに正義がある。鼻詰まりにはない。つまり悪である。 そんな中救世主が現れる。口である。 しかし
春が待ち遠しい。新しい出会い、陽気な気分、そして大切な人たちとの別れ。 そういうものが春には詰まっている。だから春が大好きだ。 秋生まれなのに春が好きな自分。 浮気性なのかもしれない。 だから栗のチクチクした檻で僕を閉じ込めてよ。そしてずっと見守って欲しい。
感性を磨きたい。文学部少年になりたい。
最近、若者ことばである「エモい」について考えることがよくある。本当にエモいってなんだろう。僕の中のイメージでは90、80年代のことがエモいというイメージがある。ただ、それだけがエモいではない気もする。ヤバいのように汎用性がとても高い言葉だと考える。例えば人によって「ズル休みをした時に見るテレビ」がエモいと感じる人がいるかもしれない。若者ことばも色々と考えてみると面白い。そしてエモい。
以前の投稿を見たあと、先ほどの投稿を見てみるととても文章の構成力が落ちているなと思う。というか前の投稿がすごかった。これから国語力をつけていくためにも日常を記していきたい。
noteにはいくつもの下書きがある。感情任せに書き、公開しなかったものだ。そして今、それらの下書きを見て余韻に浸っている。こんな時もあったなぁとか笑。いつか下書きをみて日常を思い出すんだから下書きも大切にしていきたいな
復活しまーす
満開の桜よりも、散っていく桜の方が美しく見える。 人間だって、出会う時より別れる時、旅立つ時の方が他の人に何か大きなエネルギーを与える。 だからさ、途中でどんなに辛いことがあっても美しく人生を終えるために頑張ろうって思う。
一昨日からもう4月。春風が吹き、春の陽気が街を賑やかにさせる。そんな中、ふと思ったことがある。 「親友と呼べる友達が欲しい」 自分自身、友達は多い方だとは思う。数人で遊んだり、出かけたりすることはある。楽しいと思う。 しかし、何かが足りないのだ。それが親友だ と自分は思っている。 例えば、今の時期だと桜が綺麗に咲いている。それを見ながら散歩して、話して、気づいたら日が暮れていた。 特にすることもないが夜に集まって、酒でも飲みながら夜景を見てくだらない話をする。そ
noteとは何を書けば良いのだろう。そんな思考が脳内を巡る。 そう思った時だった、、、。