Daisuke Kawano

1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mamaに入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる。

Daisuke Kawano

1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mamaに入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる。

最近の記事

待ち合わせ場所を決めるだけ

AnalogfishとSuiseiNoboAzの2マン、ご来場いただきありがとうございました。ただただ楽しかった。最高だった。 今日は夕方までいいことが一つもなくて、あーってなってたけど一気に吹き飛んだ。音楽の力はすごい。 石原さんのMCを聞いて、前の対バンから丸10年だということを知った。以前にも対バンしていたことは知っていたが、そんなにも前だとは思っていなかった。ここ数年はやってないだろうとは思っていたけど。 いつもライブを見ていて考えてしまうことがある。今日はこれ

    • 拝啓 STUDIO COAST

      Sigur Ros MGMT Pay money To my Pain 全然思い出せないくらい、数え切れないくらい遊ばせてもらった場所が無くなった。 ageHaにも何度行ったか。20歳から22歳くらいまでの2年間は、ほぼ毎週と言っていいほど遊びに行っていたような気がする。 ageHaでは苦く、淡い思い出がいくつかある。 石野卓球さんのパーティに遊びに行った時のことだ。 入場してアリーナからプールへ移動し、頼んだドリンクを待っていると友達から電話がかかってきた。

      • 清水省吾について

        先日MINAMISに電撃加入を発表したギタリスト清水省吾。 全く予想できなかっただろう。驚かせてしまい申し訳ない。 10月頃には加入することが決まっていて、発表するとしたらクアトロ公演のタイミングがベストかなと思い、演出などを考えた。 そして、一つどうしても補足して伝えたいことがあり、ペンを取っている。 クアトロのMCでは『面白そうだから』という話をしたと思うが、もちろん面白いのは間違いないのだが、省吾が加入したのには明確な理由がある。 これから省吾本人にも伝えてい

        • MINAMISについて

          今年の集大成となるであろうMINAMISの渋谷クラブクアトロ公演まで残り6日となった。 1年は長いようで短い。今日はクアトロ公演を決めた日のことを少し話したいと思う。 今からちょうど1年前の2020年12月9日だったかな。それまでもメンバーと『来年クアトロでやってみる?』なんて話をしたことがあったが、イメージができていなかったのか反応はいまいち。2020年12月12日のLa.mamaのワンマンライブの日も迫っていた。 当時は今よりもコロナの影響も大きく(その後2021年

          仕事ができるできない

          もうかれこれ14年くらい採用担当をしている。 お金のこと、時間のこと、働き方のこと。みんなそれぞれ気にされていることが違っていて、その中でも特にスキルについて気にされている方が多い印象がある。 自分の場合はスキルの有無や、経験があるかないかなどは全くと言っていいほど気にしていない。眼の輝きだけを見ている。(ごめんなさい。履歴書もあまり見てません) 一生懸命に働く姿は人に感動を与える。とにかく美しい。それだけで充分だ。 周りと比較して自信をなくす必要なんて全くないし、好

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          懐かしい先輩

          未だに画像の投稿がうまくできない…。アイコンの画像も設定しなくちゃ。 小学生の頃はゲームが大好きで、将来プログラマーになりたくて工業高校の情報科に入学した。 中学の頃には部活と音楽ばかりで、すっかりゲームはしなくなっていたのに。今思うとなんでプログラマーを目指していたんだろう。 しかもその頃はタッチパネルのようなやり方でゲームを作ると思い込んでいて、高校に入ってJavaやC言語などというのが出てきて、勝手な思い込みは軽々とぶっ壊された。 先日懐かしい先輩と久しぶりに会

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          note始めました。

          お盆を過ぎるとあっと言う間に季節が進みますね。 今年は特に残暑を感じる暇もなく、秋に突入した感があります。 以前から考えていたのですが、noteを始めてみたいと思います。今年はnoteの秋にできたらいいな。目標にします。 Musicmanという音楽業界の総合情報サイトにて『音叉点』という対談企画の連載をやらせていただいております。そちらでもNGなくいろいろと話をしておりますが、対談という形ではなく、一個人として思うことを形にしてみたいという欲求が生まれてきまして、ペンを

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