見出し画像

何を話したかはほとんど覚えていないが(#10 師)

目に飛び込んできたものについて口が回るかぎり質問する類の騒々しい子どもだったので、小学校で習うより早くから知っている漢字はけっこうあったはずだと記憶している。細かいことは覚えていないが、おそらく「師」という漢字もそのうちの一つだったのではないだろうか。

小学生になる前にはすでに離れていたが、幼いころに僕が住んでいた町のひとつ隣が「師岡町」という名前だった。そして師岡町には「師岡熊野神社」という大きな神社があった。毎年の初詣、あるいは何か祈ることが生じたときは、決まってそこを訪れた。いまだに初詣の参拝は続けている。ごまかしの効かない参道の石段を登ることはひとつの定点観測になる。大人になって知ったが、その神社は創建からすでに1,300年を数え、関東における熊野信仰の一角を担う存在らしい。

「師岡」は「もろおか」と読む。かつての地名である「諸岡」—あちこちが丘陵になっている地形に由来するのだろう—から転じたらしい。常用漢字表には載っていない読み方だ。もちろん体制派の小学生だった私はもちろん、漢字テストで「し」と大きく書いた。でも心のどこかで「もろ…」とつぶやく小さな詩人がいた。師・もろ、あるいは師・モロ。小躍りくらいしたい気分だった。

それはさておき、「師」はやはり「し」が似合う形をしている。道の向こうから「師」が歩いてきたとして、彼は絶対にシュッとしたタイプの人物だ。丁寧に換言すれば、彼は、飾らなければならない段階を過ぎたがゆえの自然な成り行きとして一切を飾ることのない人物だろう。あるいは練成されている、粗がないという形容が合うかもしれない。もちろんこのイメージが後知恵という可能性は否定できない。私が覚えている限り初めて出会った師(し)は、三国志演義に登場した「軍師」、諸葛亮孔明だったから。

師と来ればまずは「教師」なのかもしれないが、いまのところ、師が喚起するイメージの輪郭に合致する人はいない。と言っていいはずだ。むしろ職業人として「教員」、あるいは個人的な親しみを込めて「先生」。中高時代を、教員を単に「さん」付けで呼ぶ習慣のなかで育ったことは、何か関係しているのだろうか(そんななかでも一つ二つ、彼ら彼女らの発したセリフが言霊となって私の体の中を漂っているということはある)。

言葉というものは、いやむしろそれを受けとる脳というものは厄介なものだ。とくに文字という視覚情報が添えられると決定的だ。ニュアンスの藪のなかで身動きが取れなくなってしまう。これは一般論ではない。つまり自己批判だ。

唯一、中学受験期の塾の講師陣は「師」に近い雰囲気とともに記憶されている。中でも国語科の講師は、ところどころ節くれだってはいたが完璧に巨木だった。勝ち目なんてどこにもなかった。何を話したかはほとんど覚えていないが、お世話になったことだけは間違いない。

かわねの生きモノ6000分の1 ウミ

ウミの生態(プロフィール)
1997年神奈川県横浜市にて、何も考えず、生まれる。2023年5月川根本町へ、何も考えていないふりをして、移住。現在、町内にて、何か考えているふりをしている。どうでもいいんですが、理科で植物に栄養を運ぶ「師管」という単語を習ったとき、大げさじゃない?と感じました。ただしくは「篩管」(篩・ふるい、のような構造から)とのことです。