見出し画像

砂浜 韓国

7月というのに砂浜には僕ら以外、ほとんど人の姿が無かった。カンカン照りの太陽の下に開いた薄緑色の日傘の影が、砂の凹凸の上でヒダを作っている。
時折吹いてくる海風は、爽やかというより湿気のために重く肌をなぶるようで、これでは次から次に噴き出す汗も乾きそうにない。

砂浜の向こうへ視線を滑らせていくと、断崖とよぶに相応しい、小高い丘がそびえている。その肌は岩なのか、硬い土なのかわからないが、容赦なく照りつける日を萌黄色に跳ね返している。その反射の中を、海鳥が悠々と旋回している。

視界の眩しさに目を細めながらYが言う
「あの水平線の向こうにさ、韓国があるんだよね」
今僕らが見ている海の向こうには、残念ながら韓国はない。Yは地図が読めないばかりか、地理が大の苦手で方角に対する感覚もほとんど持ち合わせていない。

以前、「太陽が登る方が東だよ」と教えたことがあったが、「それって右側ってことだよね?」と、想定外の返しが来たときに僕は全てを了解して、「うん、まぁそんなところかな」と返したことがあった。

「ええとね、向こうには韓国はないかな」
「え?だって韓国って海の向こうにあるんじゃないの」
海を挟んだ隣の国。Yの知る「韓国の位置」はそれだけが全てであり、そしてそれは正しい。
「うん、それはそうなんだけど、えーとね、地図があれば分かりやすく教えられるんだけど」
「何それ、変なの。海って1つなんじゃないの?」

たしかに地球上の海は繋がっていて、その意味で1つと表現することは可能だ。そして、海が1つであるなら、Yの言う通りこの海の向こうに韓国があっても良さそうな話になる。そこまで、考えを巡らせたときに僕はあきらめた。
「そうだね、海は1つだね。向こうに韓国があるよ」
「ほら、言った通りでしょ?」

なんだか無性に喉が渇いてきた。さっき砂浜に隣接されている食堂で、お茶を飲んだばかりだというのに、向こうにあるはずの無い韓国が、会話の上ではあることになってしまった今、ラムネの一本くらい飲んでスッキリしたい。
Yはまだ海を見ている。
日傘の影が包み込む範囲だけ、濃くなった色と色。それをぼんやり側で眺めながら僕はやはりあきらめきれずに思ってしまう。
「ないよ。向こうに韓国は」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?