見出し画像

自分が組織人として生きていくのは無理だと確信したことと、その後の話。

僕はこれまでに会社組織に属したことが4回ほどあります。
その経験で学んだことは、自分には組織人として生きる資質が備わっていないということでした。
これは、良いことでも悪いことでもなく、「ただそうだ」ということ。

なんかもういろいろ無理〜、て感じでした。
細かいエピソードは沢山ありますが、突き詰めると僕の場合は結局「人間関係」。

率直な意見を聞かせてくれ、と上司に言われて率直な意見を伝えたら、次の日から挨拶返してもらえなくなった
とか、
普段影でボロクソに上司のことを言ってる同僚が、本人の前だとゴマすりすり
とか、
重役の自己満にしか見えない会議
など
これらのことは「ありきたりなこと」なのかも知れませんが、そういう僕の目には「茶番」にしか見えないことが、延々と繰り返される環境に、どうしても馴染めなかった。

もちろん、僕がいた会社がたまたまそういうことが多かっただけかもしれないし、僕の周囲を見渡す目が稚拙だったから、たかだかそんなことでストレスを抱えていたのかもしれません。

でも、ふと気づいたら
「あぁなんかもう色々無理〜」
が発動する、息苦しく憂鬱な日々をこれからも生きていくのかと思うと、「死にたい」というよりニュアンス的に「もういっそ、消滅したいな」と度々考えました。

組織人としての資質に欠ける要因は人それぞれあるかもしれません。
人間関係だけでなく、
目覚まし何個セットしても、どうしても朝起きれない
とか、
モノを覚えるスピードが人より遅くて、頑張ってもどうしても周りについていけない
とか、
労働するのがシンプルに無理
とか。

一般的にはそういうの「社会不適合者」などと呼ばれたりしますが果たしてそうかな、と僕は思います。
むしろ「自分不適合社会」があるだけであり、社会が自分に合っていないだけの話じゃないだろうか。
呼び方は何でもいいけど、とにかく、社会と自分とがフィットしていない。

それに、年間、万単位の人が自ら命を絶つこの「社会」が正常なわけ無い。そんな社会に適合する必要はあるのだろうか、とも思いました。


ところで、一般的に言う社会とは「サイズの統一されたシャツ」みたいなものだと感じます。
大多数の人はそれにフィットする体を持っていて、そのシャツを着て平気で過ごせる。
でも、どうしてもサイズの合わない人だっている。僕もそう。

小さすぎて窮屈だったり、ブカブカ過ぎて快適に過ごせなかったり。
そんな時に、シャツに自分の体型を合わせようと無理をするより、自分に合う他のシャツを探す方が、良い気がする。
そして、自分に合うシャツを一旦手に入れたら、先々快適に過ごせる。

自分が身を置く環境を「社会」とするならば、シャツを選ぶようにして「社会」だって選べばいいのかな、と僕は思います。

僕が、自分が組織人としてこの先を生きていくのは無理だと確信したのは、30歳の時でした。
そして、自分1人でもやれる仕事をして生きようと、その時考えました。

で、今美容師をしています。
当時、1人で自分の美容室を営んでいる兄を見て、「そう言えば1人でできるじゃん、美容師」となりました。

その時の僕は「髪」にも「美容」にも全く興味も関心もない人間でしたが、「1人でできる」その一点だけで美容師の道に入りました。
「好き」とか「興味がある」とか、そういうのは「やり始める」ことで後からついてきます。

好きだからやる。興味があるからやるよりも、やるから好きになる、やるから興味が出てくる。順番ってきっとそういうものです。

ということで、
32歳で美容室で0から働き始めました。美容師としては、一般的には遅い年齢でのスタートです。

1年で最低限の技術は身につけようと、勉強練習に明け暮れました。
手先は不器用な方で人の何倍もやらないと、人並みににならない僕は、自分で言えるくらいには練習に没頭。

1年目はとにかく大変でしたが、3年先、5年先をイメージして乗り切りました。
今、キャリア5年ですが、あたたかいお客様にも恵まれ、のびのび働いています。
現在は、兄の営む店のスタッフとして働いてますが、会社勤めの頃のような窮屈さや息苦しさは皆無です。

新しい環境に踏み出すには、不安や心配が必ずつきまといます。
僕も30過ぎてから美容師なんて…、と頭をよぎりましたがそれでも、この先何年も仕事をして生きることを考えれば、ここで踏み出さないといつか自分が破綻する、と感じていた。

破綻するか、勇気出して踏み出すか、の2択。
後者を取ったということです。
後悔はありませんし、むしろ「過去のオレ、ナイス」と自分を褒めてやりたい。

そして、自分1人でできる仕事、と言いましたが実際は僕が働けるのは、見えないところで数限りない人たちのサポートがあること。
その感謝を忘れぬよう生きる日々です。

とまぁ、長々と自分語りしてきましたが、普通に生活してるだけで息苦しさ、窮屈さを感じるのは自分が身を置いている「社会」が、自分にフィットしていないからかもしれません。

ここで言う「社会」とは、なにも「会社」のことだけではなく、もっと広い意味での「自分が属する人の輪」のことです。


シャツを選ぶようにして、自分が身を置く社会を選ぶ。
自分がどんなシャツを着たいのか?を考えるくらいの気軽さで、この先どんな生き方をしていきたいのか?を考える。

選択することには、不安や心配がつきものだけど、踏み出した先にはきっといい出会いや、清々しい顔で日々を生きる自分が待っているんじゃないだろうか。
現にそんな自分に僕は出会えたし、誰しも遅すぎることは無い。なんとかなる、大丈夫だ、と。
月並みですが、そんな風に思います。

いいなと思ったら応援しよう!