最短距離を、君と行かない。気持ちのバリエーションに触れる道。
一見、非生産的で無駄なこと、遠回りなこと、コスパやタイパの悪いこと。
そういうことを積極的にやっていきたい。
人生に彩りを与えくれる物事は、そのような営みの中にあるから。
彩りとは「気もちのバリエーション」のことだ。
先日、旅先で友人と車に乗っていた。
その夜、観光案内所的な場所でもらえる無料の地図をぱっと見て、「あ、ホテルだいたいこっちね」みたいなノリで車を走らせていた。
国道⚪︎号を北上してそこから⚪︎号線に入って、どうのこうの、、、、。
しかし、案の定道に迷った。
土地勘の無い土地で、「いやどこやねんここ」と。
とは言え、ノープランだったので別段急ぐわけでもなく、仕方なく助手席の友人に「ごめん、道を間違えたっぽいので、グーグルマップ見れる?」。
その後、彼がグーグルマップの指示通りに案内してくれた道が、これ以上は考えられないくらい夜の闇が深い林道だった。
車のヘッドライトが吸い込まれて消え入ってしまいそうなほどの暗闇。
「おいおいおいおいおい、こりゃやっべえな! ここでエンジン止まったら怖くて死ぬっっしょ!」
近くにダムもあるらしい。ダムってめちゃくちゃ霊が、、、って言うじゃないの。
大丈夫、だとはわかっていながらも、内心ハラハラ。
後部座席に乗るもう1人の友人も、「ひょえ〜っ」と妙なテンションになっていた。
さて、ハンドルを握りつつ、カーブが続く深い闇をひた走る。
ホテルは言うまでもなく、人里の気配さえない道が延々と続くように感じられる。
「あと数キロは道なりです」
え、この漆黒の闇、死角だらけの曲がり道をまだそんなに、、、。
南無阿弥陀仏。
しばらくして後、私たちは街明かりを見つけることとなる。
「うわあ、街明かりってこんなにホッとするんだあ〜」
「街灯、照らしてくれてありがとう!!」
たかだか15分やそこら暗闇を走行しただけで、人里にグッと来てホッとし、謎に感謝に包まれている自分たちに気づく。
ありがとう人里。人里、フォーエバー。
ところで、
今、私たちはなんでも最短距離で済ませられる時代を生きている。
それは物理的な最短距離のことだけじゃなくて、「コスパ」「タイパ」とかそういう言葉で表現される「効率のいい方法」「合理的な方法」のことでもある。
私は最短距離とは、「バリエーションを欠いた予定調和」のことだと思っている。
それが必要な、あるいは、有効な領域も人生には多々ある。
特にビジネスの領域においては。
でも。
なんでもかんでも最短距離で進む道のりは「バリエーションを欠いた予定調和」であり、味気ない。
もしあの夜、初めからナビ頼りでホテルに向かっていたならば、暗闇でのあのハラハラどきどき、街あかりでのホッとした安堵、そういう「気持ちのバリエーション」に触れることはできなかったかもしれない。
実はこの時の旅。
3泊の旅程だったが、とあるカフェに行く以外、マジでノープランだった。
マジのノープラン。
おかげでここに書いた、夜の迷い道以外にも、最短距離を選ばなかったことで触れることができた、出会いが多々あった。
そういった、人との、風景との、食との、ある瞬間との、予定調和ではない出会いは、私たちにバリエーション豊かな気持ちを運んでくる。
それは、ほかならぬ「人生の彩り」だ。
最短距離で行くのもいい。
でも、私はそうじゃない道のりの方に、むしろ楽しみを見出す。
誰かと一緒なら、なおさら。