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武士道 我慢 ラク

新渡戸稲造の書いた武士道を読んでいたら、「古くから日本人にとって、耐え忍ぶことが美徳とされている」的なことが書いてあった。
そうかぁ、いやぁしかし僕には忍耐力がまったく無いなぁ。僕はもう美徳なくていいっス。
新戸部さん、これからも5000円札でお世話になります、チス、と思った。

そんな僕にも、世の中的に耐え忍ぶことが美徳とされていることはなんとなく分かるし、一向に構わないけど、社会や世間が個人に対して、耐え忍ぶことを強要する世の中であって欲しくないな、とは思う。窮屈じゃないの。
でも現実はそうなっちゃってる気もする。

話がズレるけど、ずっと前に会社員をやっていた時代、ある先輩が「給料てのは、我慢料だからな!」と言ってるのを聞いた。
毎日の労働を耐え忍んでいる、その見返りとしてお金をもらっているというその考え方。いやぁ僕には向いてないなぁその生き方は、と思い気づいたときにはその会社もやめてしまっていた。

我慢するのも向き不向きであり、それは体質で決まってる。完全にアレルギーと一緒だと僕は思ってる。
だから、我慢はそれに耐えられる体質の人が、やりたければ勝手にやったらいいと思う。

僕のように我慢アレルギーの人が我慢し続けるとすぐ、あぁ死にたいなぁとなるから、向いてない人はやめとこ。本当に死ぬから。
これ読んでる人もたぶん、我慢とか向いてないでしょ?類は友を呼ぶって言うから。
だから、我慢はやめときましょうね、メンタルやられちゃうよ。

それに、我慢なんかしなくても生きる道はたくさんある。「逃げ」だって言われても我慢を続けるより全然いい。
というか、その道を探して選択するには勉強や技術、そして踏み出す勇気も必要だったりする。
だから、それはそれで結構な労力がかかる。

結局はどっちがラクなのか?の違いがあるだけ。
我慢し続ける方がラクな人、それよりは新しい道へ踏み出す方がまだマシでラクな人。
それぞれに少しでもラクをしているという点では同じなのに、我慢アレルギー体質ですぐやめちゃう僕たちの方は、「逃げ」「根無し草」などとマイナス評価をされることが多いから、ウケるなぁと思う。

むしろ、一見、日常的な我慢すくなくゆるく生きているように見える人ほど、そうやって生きるための「仕組み」づくりを裏でしっかりやっていたりする。ゆるさにストイックとでも言おうか。

僕が見てきた人たちはほとんどそうだったし、僕も彼らを真似たりパクったりしまくっている。
さて、何でこんな話をしているのか、サッパリわけが分からない。眠い。

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