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後悔 ミス 漫才

「もう50年も前の話ですけどね。」
と、お客さまは自分の話に句読点を置いた。
パーマを巻きながら(僕は美容師である)話を聞いていたが、一言でいうと「人生の後悔」についての話だった。
その日、美容室は僕1人の営業で、店内にはそのお客さまと僕以外誰もおらず、話の内容はいつにも増してプライベートなものだった。

それを聞きながら、僕なりに思うことはあったけれど、特に何を言うでもなく「そうだったんですね」「色々大変でしたね」と、言葉を返すにとどめていた。
50年も同じ後悔を引きずって、「できることなら人生をやり直したい」、そういうニュアンスが言葉の端々に漂っているように僕には思えた。
でも、本当のところはどうか、わからない。

人生に後悔はつきものだ。
「悔いの無いように生きよう」などと数数え切れないほど言われているのがその証拠である。
後悔なんてものがなければ、わざわざ誰もそんなこと言わない。

僕にしたって後悔だらけである。でも、だからといってそれがダメな人生かと言うと、そんなことは全くない。後悔だらけの素晴らしい日々を生きることはできる。

さて、休みの日といって、朝ダラダラいつまでも寝る生活ともすっかり縁が切れた。今朝も4:45ごろに布団を抜け出すと、昨日「住所不明」で送り返されてきた郵便物を手に取る。
送り先の受け取り人にメールをする。
「住所これで合ってる?」と、伝票の画像付きでメールを送ると意外にもすぐに返ってきた。「合ってる、間違い無いよ!」と。

ただの郵便屋さんのミスかな…。人はミスをするものだ。それは仕方のないことだ。
僕にしたってミスだらけの人生である。でも、だからと言って、ダメな人生かと言うと以下、先に同じ。

昼過ぎから経理関係の勉強をしようと、スマホを手に取った。最近はありがたいことにYouTubeで検索をかけると、まるで授業のような動画をその道の専門家が発信してくれていたりする。
こんなに勉強になって、しかも無料ですか…。
やらない言い訳ができない時代だと思う。ネットにさえアクセスできれば、最低限の情報はすぐ手に入る。勉強だっていくらでもできる。本当にありがたい。

と、気がついたときには、ダイアンの漫才を立て続けに見ていた。
勉強のためにYouTubeを開いたことなどすっかり忘れていた。
勉強なんて本当にどうでもいい、それくらい、ダイアンの漫才が面白すぎて、部屋で1人「わはは」と声を出して笑っていた。

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