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気配 フード 才能ナシ

年末。多くの人が正月休みに入った気配が、朝の静けさに宿っていた。
気配とは「ある」だけでなく「無い」にも宿るのだ。それくらい、音がしない。
車、通学の児童や学生、玄関先を掃除するおばあちゃん達、世間はいま「休み」であるらしい。

ピリッと肌が引き締まる冷気を頬に受けながら、いつもと同じ道を同じ時間に歩いている。
野良猫さえ見当たらない。ひっそりかんの住宅街は、冬の光の淡さも手伝って薄いモノトーンにさえ見えた。

1年を区切りとして、なんやかんやと言いたがる僕たちだ。今年はどうだった、来年はどうしたい…。
年の頭に目標を立てたところで、3日経つ頃には忘れてしまう僕は、いつからか目標などとは無縁の生き方を選んだ。
やりたいことをやりたいままに、やりたくないことはやらないままに、なんとなく漂うように歳月をやり過ごす。それでいい。

頭にかぶったフードの縁で狭くなった左右の視界。横断歩道を渡る時、大きく首を振って左右を見る必要がある。
案の定、車もバイクも自転車も見当たらない。
これだけ誰もいないと、上から見れば赤いジャンパー姿の自分が、Google MAPに刺さったピンのようにハッキリと見えるかもしれない。

ところでよく思う。何故みんなフードをかぶらないのだろうか?と。
パーカーの、ジャンパーの、首の後ろについてるアレ。
僕は基本的にいつもかぶるのだけど、以前友人から「おまえ、なんでフードかぶってるの?」と質問された時には驚いた。

かぶるために付いてるフードをかぶって「why?」って、そりゃないでしょ。逆にどんな使い方があるというの、我らがフードに。
フードフード言ってたら、なんだか具合が悪くなっきそうだからもうここら辺にしておこう。

美容室でお客さんに「かわなべさん俳句書いたらいいですよ」と言われ、その気になって書き始めた。
以前から読むことは好きだったが、自分で作ってみようとは思いもしなかった。こういうのは、構えてやるといけない。
軽いノリで、テキトーにやればいいのだ。できることをできる範囲で。

そうこうしていたら、テレビ番組のプレバトで俳句を勉強していると豪語する実母が、「おまえは絵はまあまあだけど、俳句は才能ナシだね」と、感想をくれた。
まったくその通りだと僕も思う。
だが、それが作らない理由には今のところなりそうにない。なんとなくオモロいうちは、なんとなく続ける。
なんとなく、だ。

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