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本 禅 CD

本のページを開いて2行くらい読むと、もう眠くなっている。どうしてこんなに眠いのか。
春のせい、雨のせい、はたまた歳のせいにして、自分の眠気をあきらめてしまって、一向に進まない読書。

今、禅に関する本を読んでいる。仏教の禅。
鈴木大拙っていう、そっちの方では知らない人はいないスーパー偉人が書いた本なんだけど、いかんせん2行読んだら眠くなるありさまなので、亀どころか、なめくじの歩行速度で読み進めている。

僕は日本の伝統的な文化、たとえば華道、茶道、武道、俳句、日本画、神社仏閣、雅楽、その他なんやかや、そういうの、「カッコいぃ…、美しいぃ…」と、思っていて、日本人として誇らしい気持ちでいる。
そして、それら日本文化の精神について学ぼうとすると「禅」は避けて通れないことが、よくわかる。

よし!勉強するぞ!
と意気込んだはいいが、今日も2行で眠くなる。
まぁいい。2行は読んでる。

ちなみに、岩波文庫の「禅の思想」という本を読んでるのだけど、決してスラスラと「読みやすい」本ではない。
文体や、文章の表現によっては、僕の読解力では読み進めるのに骨が折れる。
だから、じっくりと自分に染み込ませるように読書している。

ところで、ちょっと前に読んだ別の本に、
「昨今の本はあまりにも分かりやすさが重視され、読者ファーストが進んだ結果、全体として読者の読解力の低下を招いた」
みたいなことが書いてあった。

だよなぁ、と思う。
味のわかりやすい「濃い味料理」ばっかり食べてたら、繊細な素材の味わいが分からない「バカ舌」になってしまう。そういうことだろう。
同じことが、活字だけでなく、音楽、絵画、映画、その他あらゆるジャンルできっと起こっているんじゃないだろうか。

中2の時、なけなしの小遣いをはたいて買ったCDアルバム。
帰って聞いたら思ってた感じと全然違くて、とても落ち込んだ。「なんだちっとも良くないな。つまらんな」と。
それでも我慢して繰り返し聞いた。
当時の僕にとって、決して安くない買い物だったから。一回聞いて終わりじゃなくて、何回も何回も辛抱強く聞く。

そうしているうちに、その作品の中にも「自分が好きなポイント」がたくさんあることを見つける。
そして、いつのまにか大好きなCDになっていたりする。
その経験って、作品を鑑賞する側の鑑賞力を育てる経験じゃないだろうか。

自分にとっての「分かりにくさ」「つまらなさ」を含んだものと、ゆっくり時間をかけて向き合う。
結論や結果ばかりが急がれる時代に、僕はそういう時間も自分に与えてあげたいな、と思う。

なんだろ…、進まない読書のカッコつけた言い訳に聞こえないでもないな。

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