文章 ダヨネ 絵
ある人の文章に触れて、その美しさと素晴らしさに刺激を受け、「よっしゃ、オレも何か書いてみよう」と腕まくりをするところまではよくあるが、その先がいつもない。
いざ始めようとすると、何も出てこないし何も書けない。その度に、自分の内側に取り立てて何もないことや、そのくだらなさを目の前に突きつけられる。でも、それにしたって僕を落ち込ませる力はもはや持っていない。
20代前半までは違った。そんな自分に落ち込んだり、許せなかったり、そういうことが多かった。
なんでオレにはできないんだ。いやこんなはずない、オレはもっとやれるハズだ。
そんな思い違いを人並みに抱えていたが、生きてるうちに「あぁ、オレは自分が思ってるほど、できないんだな。大したことないし、才能も全然ないな」と、自分の身の丈を少しずつ理解してきたらしい。
ということで、冒頭のように何も書けなくても、アイデアの1つも出てこなくても、「Da.Yo.Ne〜」と、90年代に流行ったラップを歌う余裕が今の僕にはある。ダヨネ〜ダヨネ〜♪と言いながら書くことはさっさとあきらめて、次のモーションに移るのみである。
思えば、物事を軽やかに受け入れたり、サッと交わして次のモーションに入るしなやかさを手に入れると、すこぶる生きやすくなるような気がする。「こだわり」という言葉は、良い意味で使われる場合が多いけれど、あらゆるこだわりを捨てた先に待っている、人生の味わい深さというものはきっとあるし、できるならば、僕はそれに触れたいと思う。
さて、何の話をしているのかサッパリ訳が分からない。今朝も4:30に目を覚まして、2度寝することもなく作画用のデスクへ向かった。
朝の静けさ。まだほとんどの人が寝ている時間帯に、毎日コツコツと絵を描いているが、これももう日課になっていて、描かないではなんだか1日調子が出ないほどになった。いい流れだ、と我ながら感じ入る。
文章を書こうとすることに比べて、絵を描くというのは僕にとってはハードルが低い。
何を描くかなんて、スマホの写真をパラパラ見ていれば勝手に決まる。筆を走らせ始めて1時間も経たずに1つの作品が完成する。
小さくても、達成感に浸れる。毎日この小さな達成感を自分に与え続ける。さながら、ペットに餌をやるようにして。
そうすることで、僕の健康は保たれていくんだと、根っから思う。
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