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抱えてしんどい嫉妬から解放されるには、嫉妬をうまく使いこなす。

抱えるとしんどい嫉妬。嫉妬とはなんなのか?僕は嫉妬とは、「欠乏感を映す鏡」のことだと考えます。

自分が感じた嫉妬を鏡にして、自分に何が欠乏しているのかを客観的に見ることができます。その意味で、嫉妬は役に立つ。

思い返してみると昔の僕は、嫉妬に服着せて歩いているような人間でした。
もう毎日毎日、他人への嫉妬ばかり。
キーー!となっては、「人生うまくいってるやつ全員ヒザの皿割れろ!」くらいは思ってました。(昔のろくでもない話です)

嫉妬の対象になるものに、数はそれほどありません。
他人の「能力」「容姿」「経済力」「名声」「交友関係」「恋愛や家庭」。ほとんど、そんなところじゃないでしょうか。現に僕もそんなものに、嫉妬ばかりしていましたし。

嫉妬は欠乏感を映す鏡というのは、例えば、お金持ちに嫉妬する人は、自分のお金に欠乏感を抱えているだろうし、仕事で成功している友達に嫉妬する人は、自分の社会的な成功に欠乏感を抱えている、というような話。
嫉妬する相手と自分との比較において、自分の欠乏感が明るみに出ます。

嫉妬を無理に抑えつける必要はありません。
それは難しいだけじゃなく、そうしている時点で、嫉妬に捉われて窮屈をしているとも言えますから。
この窮屈から解放されたほうがいいと思います。
そのためにも、自分の中に自然と沸き起こる嫉妬の使い方を、上手くなればいいのかな、と。

嫉妬の使い方が下手くそな内は、他人を僻んだり妬み続けてしまいます。
これでは、いつまで経っても嫉妬ビギナーのまま、自分自身穏やかでいられません。

嫉妬ビギナーのうちは、友達の幸せや成功を素直に喜べなかったり、不必要に自分を大きく見せようとしたり、陰口が多かったり、今風に言えば人にマウントを取ろうとしてしまったりします。

これらは全て、自分の欠乏感からやってくる行為です。
程度の差はあっても、嫉妬深いと自覚のある人は、思い当たる節があるのではないでしょうか。
かく言う僕もそんな風だったし、そんな自分に苦しんでいました。

でも今では僕も、人様に嫉妬を抱えることがほぼ無くなりました。
ほぼ、と言うのはごくごくたまーに瞬間的な嫉妬を覚えることは今だにあるから。
でも、日常的には皆無と言っていいです。
どうやら、脱嫉妬ビギナーできてるっぽい。

嫉妬ビギナーを脱すると、毎日をいい感じの気分で過ごせます。
清々しい人生に近づける。そんな毎日を生きていきたいと願う、僕らが目指すべきは、脱嫉妬ビギナーとその継続。

そのために必要なことがあります。
まず嫉妬が映す「自分に欠乏しているモノ」をきちんと見て、それを受け入れることから。

たとえば、他人の「能力」に嫉妬した場合、「僕があの人に嫉妬しちゃうのは、あの人に比べて自分の能力が足りないと感じるからか。あの人が羨ましくなるくらいに。」と、理解して受け入れます。

受け入れない限りずーっとビギナーのまま、先に挙げたような行動を繰り返すことになります。
と言うより、それらを繰り返している内は、受け入れられていないと見ても、いいかもしれません。

そして、それを受け入れた先は2つしかありません。
欠乏しているものを「あきらめる」か、「手に入れる」か。どちらかです。
脱嫉妬ビギナーの2つの道。選択は自由です。

血のにじむような努力ができない僕は、これまでに散々あきらめてきました。
それこそ、あきらめまくってきた。
「あの人のようにはなれないな。あきらめよ」
そして、
「まぁいいや。自分は自分で」
と、なかば開き直りの要領であきらめる。

初めからうまくいかないけど、何度も何度も言い聞かせているうちに、嫉妬と折り合いがついていきました。
この「あきらめる」とは、欠乏している自分を肯定することでもあります。

一方、人によっては、嫉妬をバネに無茶苦茶努力して、足りないものを手に入れるタイプの人もいるでしょう。
お金めっちゃ稼ぐ、とか、有名になる、とか、むっちゃ能力磨くとか。
もちろん、それに見合うだけの努力を自分に強いる必要は出てきます。

この辺りは、自分に向いてる道を選べばいいと思います。


ちなみに、「あきらめる」とは、今日のテーマである「嫉妬」を含めた、人生における苦悩を解決する技術の1つです。

「あきらめるな!」と一辺倒に言われて育ってきた僕たちだけど、さっさとあきらめた方が自分の精神衛生上良いことは、たくさんあります。

「あきらめないこと」も「あきらめること」も人生において必要。
大切なのは自分の幸せの為に、「あきらめるべきでないこと」と、「あきらめるべきこと」を見誤らないことだと思います。

「あの人のようになるのは自分には無理」とあきらめて、欠乏した自分を「まぁ、これでいいか」と丸ごと肯定することで、嫉妬と距離を置くことはきっとできます。僕がそうでしたから。

「さっさとあきらめたほうがいいよ」と、言いたいわけではありません。
もし嫉妬に苦しんでいてそれをなんとかしたい場合、「あきらめる」のも立派な選択肢の1つってことです。

言葉遊びのようですが、僕の場合は、
「嫉妬から解放される日々をあきらめない」
ために、いろんなことを「あきらめた」ということです。

嫉妬をうまく利用して、「あきらめるべきでないこと」と、「あきらめるべきこと」をハッキリさせて自分の進む道を選びましょう。嫉妬から解放されるために、という話でした。
僕もこの先もそうしていきます。

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