ナイトタイム ニコニコ ミックスナッツ
畳の上、足を投げ出して食後のナイトタイムをくつろいでいた。
今日あった出来事を頭の中で思い返したり、やらなければならない日々の雑事などを考えてみるが、ビールが少し回った頭では一切がめんどくさくてすぐにやめた。
読もうと思って買った本が、テーブルの上に置いてある。そして、その横に読み終わった本が置いてある。
どちらも内容が記憶にない。つまり、最近読んだ本ももはや全く覚えていない。
これが本当の既読スルーってかやかましわ。
せっかく読んでも綺麗さっぱりと忘れてしまうなら、あなたの読書に果たして意味はあるのか?と人が問うならば自信を持ってこう答えたい。
「ない」と。
そんなもの無くていい。でも読む。やることにいちいち意味が必要なら、人生はあまりにも窮屈だ。
僕の隣、同じ畳の上で足を投げ出してスマホをいじっている様子の嫁さん。何を見ているのだか知らないけど、楽しそうではある。
目尻を下げて「ニコニコ」している。
ニコニコというオノマトペか擬態語か、どう呼べばいいか知らないけど、とにかく「ニコニコ」を初めに言い出した人は偉いと思う。
人の笑顔たるや、本当にニコニコそのものだと思う。よく思いついたな、ニコニコ、だなんて言い方。常人の発想ではない。
非凡な人がいる。世の中にそれこそごまんと。
一万人にひとりだったとしても、日本国内だけで一万人以上いることになる。
俗に「天才」などと呼ばれる彼らは、僕の目から見れば「同じ目」をしているように見える。
どこにもピントが合っていないようでもあり、それでいて全部を見透かしているような目。
そういう目をしている。
たぶん「ニコニコ」って言い出した人もそういう目をしていたのだろう。僕にはそれがわかる。
違ったらごめん。
サラリーマンやっていた頃は、寝て起きたらまた仕事に行かなければならないことが苦痛で、夜ふかしが常だった。
あれから数年後のいま、仕事も変わりそれも無くなった。早いと9時前には布団に入っている。
早朝に絵を描き、仕事に出向き、帰ってビールを飲み、嫁と話をし、みたいなシンプルなサイクル。
暖房の効いた部屋、畳の上で両足を投げ出している。記憶の片隅にも残らないような日々の積み重ねだ。
太く短くド派手な人生を夢見たティーンエイジャーの20年後がこれか、と思うと可笑しくなる。しかも、それでいてこの毎日が心地よいのが、なおさら可笑しい。
ビールの缶が軽くなったタイミングで、ミックスナッツの袋を開けてみた。
一口食べてこんなにビールが進むなら、もっと早く開ければよかったな、と思った。
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