棚 画材屋 領収書
棚に並べられたCDや本のタイトルを見て、「いやぁ、趣味のいいコレクションだなぁ…。って、これ全部オレのやないかーい」と、髭男爵のツッコミで自画自賛する茶番劇に、たまに浸ることがある。
古今東西の古典文学や小説、哲学や思想書の類。ジャズ、ブルース、ボサノバ、ロック、を中心に幅広く揃えられた名盤や希少盤の類。「いやぁ、いい趣味してますねぇ」と、自分のコレクションを称賛して勝手に気持ち良くなっている。
こんなことはシンプルにバカのやることだが、僕はシンプルなバカなので仕方がない。
とは言え、この頃は「モノ」を減らそうと、CDも専らメルカリで売り払っており、コレクションは減る一方。
聞かれないまま僕の棚に眠るよりも、聞いてくれる誰かの手に渡った方がきっとCDも喜ぶだろう。
不思議なもので、CDっていつどこで買ったのかを記憶していることが割と多い。
あ、これはあそこで買ったな…、こっちはあそこで、みたいに。
買った帰り道、はやくCDデッキに入れて聴くのが楽しみで仕方がない、あのワクワク感とセットで記憶されている。
そういう瞬間がサブスクで聴くようになって無くなったことは寂しい気もするが、サブスクの便利さを考えればどちらの聞き方も「それぞれに良いよね」と、自分の中の金子みすずがジャッジを下す。
確かに、それぞれに良い。
さて、話は変わって今日は雨の中、切れかけの絵の具を買いに画材屋に出かけた。
絵の具が並んだ棚を見ながら、買い足しの絵の具に加えて、試してみたい新しい色を一つだけ買い物かごに入れる。
自分の中のルールとして、新色は毎回の買い物で1色しか買わないことにしている。
理由は、「なんとなく」だ。
多くの物事に必要な理由は、「なんとなく」で十分足りる。この場合もそれだ。
そして、絵の具の棚の前で「それにしてもまぁ、人生の多くの時間を棚の前で過ごすよなぁ」と、また棚の前にいる自分に、少しの滑稽を感じている。
自分が関わる人が自分の人生を彩るように、自分が前に立つ棚もまた自分の人生を彩る。
人付き合いならぬ、棚付き合いもまた人生だ、などとクスッとも笑えないことを考えてレジに向かう。
レジのお姉さんから、領収書の宛名をこちらにと渡されたメモに
「かわなべひろき」
と書いて渡すと、レジのお姉さんはそれを見て
「わたなべ…」
と、書いていたので、
「あ、すんません、わたなべじゃなくて、かわなべです」
と伝えた。
「あ…すみません…、すぐ書き直しますね」
「全然大丈夫ですよ。よくあることなんです」
同じお姉さん、同じ間違いをこれで3回連続である。
この先何連チャンするか、密かに楽しみなっている自分がいる。
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