【twilight 第12話】リーさん マスター
「そういえば、ター坊最近ハマってること、何かないの?」
喫茶トランペットのテーブルで3人揃ってカツハヤシである。リバティがそうたずねたのには、それだけの理由があった。
「ちょっと前までは、休みの日に陶芸やってたけどね…」
「やめたな」
ター坊より先にリバティが結論を告げた。
「しっかしそれにしても、ター坊って昔から飽きっぽいよなぁ。新しいこと始めたと思っても、次会ったらもうやめてるんだもん。まぁ、いつものことだよなぁ」
リバティは同意を求めるようにセンセイを見る。
「そうだっけ?」
センセイは分かっていることを、とぼけてみせた。
「いや、オレだって忙しいんだ。毎日仕事仕事でさ。自分の時間なんてなかなか無いんだよ」
口元に運ぼうとしたカツが、無常にも空中でフォークから抜け落ちたター坊。ガクンと頭を落とした後に続けた。
「大人になって分かったけどさ、大人って、なかなか大変だよな」
それを受けてリバティは
「そうだっけぇ…?まぁ、カツも落ちるくらいだし、そうなのかもなター坊は」
と、気楽なものである。そんな2人のやり取りには目もくれずに、センセイはカツハヤシに全神経を集中させているところだった。
「3人揃うってのは、なかなか珍しいじゃないか」
カウンターの向こうからマスターであるリーさんが声をかける。
「はい。たまたま暇が合ったんで」
「そうかい。3人ともコーヒーかい?」
食後の飲み物を問われて
「あ、僕は…」
と言いかけたター坊を制するとリバティは
「3人ともコーヒーで」
と、オーダーしたのだった。
「リーさん1人で忙しいんだからよ。少しは気を使えよ」
小声で言うリバティに、ター坊も小声で返す。
「いや、リーさんはお客さんの好きなもの飲んで欲しいと思ってると、オレは思うけど?」
「けど?ってなんか鼻につくなぁそれ」
少し話す度に小競り合いを繰り返す2人を
「まぁまぁ。間違ってないよ2人とも。たぶん」
と、センセイはなだめるのだった。
「やっぱりうまいよなぁ。リーさんのコーヒーはいつも。これも最高においしいですよリーさん。オレどうやら南米の豆が好きらしいです」
自称コーヒー通でもあるリバティ。嬉しそうな笑顔を見せてリーさんが応える。
「ちなみにそれ、ケニアの豆ね」
「ぷはっ…コホコホ。おいおい、知ったかぶりかよ。ははは」
コーヒーを吹き出しつつ、鬼の首を取ったような顔のター坊にそう言われたリバティだったが、それを見ていたリーさんが付け加える。
「あ、ブラジルもブレンドしてあるわ」
それを聞いて
「ほらね」
と、今度はリバティが得意顔の番だった。
当時、3人が通った学校の近くにも一軒の喫茶店があった。
今では廃業し、3人の記憶の中から店の名前は消えてしまったが、初めて行った時のことはよく覚えている。
ある放課後に誰が言い出したのか、意を決して3人でその喫茶店のドアを開くと、ベルの乾いた音と共に、マスターらしき初老の男性が招き入れてくれた。
お店が開いてからこれまでの歳月を物語るような、飴色のテーブルと椅子。
テーブルランプの黄ばんだレースの傘。窓から斜めに差し込んでくるセピア色の傾いた陽と、それが作る窓枠の影。
壁に染み付いたコーヒーとタバコの匂い。めんどくさそうに週刊誌のページを捲るひとり客のおじさん。
初めて子供だけで入った喫茶店の空気に、3人は不安でありながら、うっとりとした心地よさも感じていた。
相反する不安と心地よさに同時に触れられることは、「初めて」が見せる手品のようなものかもしれない。
3人は喫茶店がくり出すその手品に、すっかり魅了されていた。
揃ってアイスティーをストローでズーズーやりながら、話し声は何故か小声になってしまう。
そのうち1番初めに飲み終わったリバティが、グラスに残った氷を大きな音立ててガリガリと噛みだした。
「おい、ここじゃやめとけって」
なんとなくそう言ったター坊の言葉に、なんとなくリバティは従うことにした。
「そこの学生さん?」
マスターらしき男性が声をかけてきた。
「あ、はい」
「ウチは初めてだよね?」
「あ、はい」
緊張のせいか、どうしても「はい」の前に「あ、」がついてしまうリバティ。
「たまにね、他にも生徒さん来てくれるんだよ。おじさんにもね、君たちみたいな若い頃があったんだ。懐かしいなぁ」
と、遠くを見るような目で微笑んでいる。
普段学校で顔を会わせる仲の良い人たちの中にも、自分たちの知らないところでもしかしたら、この店のドアをくぐった人がいるかもしれない。秘密めいたものを感じたリバティは、
「あ、ちなみにどんな生徒がくるんですか?」
とたずねてみたが、
「さぁね」
と一言、嫌味なく軽やかに受け流したマスターらしき男性は、カウンターの奥へと引っ込んでしまった。
喫茶トランペットのテーブルで食事を終えた3人は、それぞれに黙ったままだった。
件の喫茶店のことを思い出していたセンセイは2人に聞いてみる。
「そう言えば、あの店のマスター今頃どうしてるのかな?」
「え?どの店?」
センセイの話はいつも唐突である。
「ほら、学校の近くにあったでしょ。ここより狭くてさ、古い喫茶店が」
「あぁ、それがどうしたんだよ急に?」
2人とも意表をつかれたように質問を返したが、センセイはそれには応えず
「まぁいいんだけど。そろそろ行こうか」
と、椅子から腰を起こした。
お会計を済ませてドアの向こうに2人の背中が消えたのを確認すると、こっそりリバティはカウンターに近寄った。
「リーさんところで、さっきのコーヒーって本当はブラジル…」
質問が終わらないうちに「さぁね」と一言、片目だけつぶって見せたリーさんだった。