夕暮れ時 自転車 焼き鳥
夕暮れ時の藍色に染まる路地のあちこちで、居酒屋の店先に暖簾がかかり、赤提灯が灯り始めた。
最近買った自転車で嫁さんと出かけた帰り道に、「焼き鳥食べたいね」と寄った焼き鳥屋。
名前を「鳥武蔵」という。
カウンター数席とテーブル2席だけの小ぢんまりした店内に入ると、見た目アラフィフの男性が2人で切り盛りしている様子だった。
勝手に名前をつけるなら、テツオさんとトシロウさん、といった風情の2人だった。
「いらっしゃい、カウンターでもいいですか?」
と、僕の返事を待たないで、テツオさんは焼き場と差し向かいになったカウンターに、僕らを手招いた。
席について飲み物を選んでいると珍しく嫁さんが「生ビールを飲む」という。
そうだ、今日は自転車で来ていたんだった。
普段のように車の運転は無いからビールを飲める。
と言っても厳密には自転車だって飲酒運転は取り締まりの対象だ。ほろ酔いになったら押して帰ればいい。なんだか、気楽な晩餐だ。
「あ、すみません。生中と、生小をひとつずつ」
「あいよ!ありがとうございます!」
テツオさんとトシロウさんの声が返ってくる。
ふと壁の張り紙を見ると
「平日限定!生中!20時まで390円!」
と書いてある。
やったラッキー!という気持ちの後で、世の中ありとあらゆるものが値上げの中でも、人情味ある価格で営業するお店の裏側を想像してしまい、ちょっとした申し訳なさみたいなものが、ふっと胸中に沸いた。
よし、だったらせめて焼き鳥たくさん食べていこう!
焼き上がりを待つ間に、嫁さんの話に耳を傾ける。
皿に盛られたキャベツを割り箸でつかんで頬張ると、シャキシャキの食感が耳に伝わり、それが嫁さんの声を邪魔するようでもあった。
にしても、このキャベツ、バカにうまい。
それから運ばれてきた一品料理、鳥刺しや鉄板焼き、その他、ありとあらゆるものがうまい。
恐るべし、鳥武蔵。
カウンターに座る体を右へ45度捻った先に見える出入り口から、少しだけ外の様子がうかがえる。
ついさっきまでの夕暮れは、すっかり夜に変わっているようだった。
暖簾の影に、きっと学生だろう、何人もの若者が通り過ぎる足元が見えた。
そして、相変わらず喋り続けている嫁さんの声を聞きながら、焼き場の方をチラと見てみる。
炭火の上の串から片時も目を離さないトシロウさんからは、焼き鳥職人のオーラがメラメラとほとばしっているようだ。
いや、もしかしたら単に炭火の赤々とした明かりのせいかもしれない。
「お待ちどうさん!焼き鳥、もう焼けますからね!!」
トシロウさんの声にそう告げられて、思い出すようにして気づいたことがある。
そういや、もう腹いっぱいだな……。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?