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豪雨 ギター 中途半端

身支度を整えて、片道歩いて1時間半はかかるであろうこれからの道のり、どのルートで行くかを頭の中で整理していたら、窓の外から大きな音が聞こえてきた。
大雨ならぬ、豪雨である。

この雨じゃ、外に出て1分もかからないうちに靴の中までぐっしょりだろうし、傘もほとんど役に立たないだろう。
わざわざ濡れ鼠になることが分かっていて、外に出るまでもあるまい。
予定をあきらめた僕は、壁にかかったギターを取り上げると、ボサノバの一曲でも弾いてみることにした。

僕が外に出ようとすると、決まって降り出す雨。
雨男と辞書で引いても、今だに僕の個人名が書かれていないことに、不思議を感じずにはいられないほど僕は雨男である。

雨雲の集団はいつだって僕の動向を空の物陰から監視しているのだろう。
「お!アイツ、そろそろ出かけるぜ!っしゃ!今だ!降らそうぜ〜!」
と、雲のパリピ集団がウェイウェイ言いながら一斉に僕を目掛けて雨を振り落とす。
一瞬そんなイメージが浮かんだがさすがに「考えすぎだなぁ」と、自分をなだめる。

潰れた予定に代わってできた空白の時間をどうやり過ごそうかと思案する。
胸に抱えたギターも、僕を喜ばせるメロディを僕には紡げないことを教えるばかりで、なんだか寂しい。
そうして、壁のギターフックにギターを戻して結局ゴロゴロしてしまう。

いったい世の中の人々は、どうやってそれぞれの退屈をしのいで過ごしているのだろうか。
「いやいや、毎日毎日やることに追われて自分の時間なんてないよ!退屈ですって?そんなもん、嫌味の一つにしか聞こえないわよ」
という、顔のない誰かの声が聞こえた気がした。

絵を描く、文章を書く、ギターを弾く、料理をする、僕は僕なりに趣味のいくつかを装備して、日々をのろのろ走行してはいるが、それだけではまだ不十分だなぁ、などとこの頃感じる。
僕のような飽きっぽい人間に必要なのは、「やることの数」である。
自分ができることのクオリティを問うことなく、沢山のことにちょいちょい手を出すことの方が、飽き性にはきっと都合が良い。

ということで、そろそろまた新しい何かに手を出そうかなどと考えてしまう。
こんなことを考え出すと、「どれもこれも中途半端なのに?」と内なるもう1人の自分がチャチャを入れるが、別に構わない。

全部中途半端なまんま、全部だらだらとやれたらいいんじゃないのかな。
何かを極めるほど、ストイックにはなれないし、何もやらずにいられるほど退屈と仲良くなれないのだから。人生は長い。

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