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自分に可能性が無いことを理解すると、開ける可能性についての話

恵まれた才能やセンス、器用さや賢さを備えた人を、可能性がたくさんあると言ったりします。
それは言い換えれば、人生の選択肢が沢山あってそこから選び取ることができるということ。

一方、自分には何もなく人生の選択肢なんてない。つまり、自分には何の可能性もない
と、悲観的になってまうこともあるかもしれません。

今日は「可能性」について考えます。
いつも僕の話は「気楽に生きること」を目指しています。役に立つか立たないかは分かりませんが、暇つぶしにでもどうぞ。

では、早速本題に。

僕は思います。
可能性なんて無いほうがラク。
それに、無くても楽しめる。

と言うのも、僕は生きる上で何事も選択肢は少ない方が生きやすい、と考えているから。

本題は一旦置いといて、先に少し僕の話を。

僕は着る服については、同じシャツ、パンツ、靴を買い替え続けています。
また、趣味でパステル画を描きますが色数は、自分の絵が求める最小限だけ手元に揃えています。今の感覚だと、だいたい16色あれば僕には十分間に合う。これ以上多くない方が僕には望ましい。

どうしてそうするかと言うと、選択肢を極力省くことによって、「選ぶことへの迷い」が減るからです。それは、人生から「迷い悩む時間」が省けるということです。

とは言え、「選ぶ楽しさ」だってあるんじゃないか?と思いますよね。
実は、「選択肢を減らすこと」は、「選ぶ楽しさが減ること」にはなりません

 
例えば、ご飯を食べに行くとします。
「選択肢を減らすこと」は、中華、イタリアン、和食、エスニック料理、そういう大きなジャンルのなかで、まず選ぶことに似ている。
漠然と「何食べる?」よりも、まずはジャンルを絞って選択肢を減らすほうが、お店を選びやすくなる。

では、これをやっちゃうと選ぶ楽しさが無くなるか?と言えばそうではありません。
実際にお店に行けば、そのお店の「メニュー」から食事を選ぶ楽しさは残されている。

ですから、選択肢を減らした先に、別の選ぶ楽しさは残るし、むしろ選択肢を減らすことによって、その先にある「選ぶ楽しさ」にいち早く辿り着ける。
僕はそう思います。


ここまで「選択肢」について書いてきましたが、この話を「可能性」に紐づけていきます。

先に書いたように「可能性を感じさせる」とか「可能性がある」などの言葉を人に対して使うとき、それはその人の能力が高くその人なら「なんだってやれそうだ」「どんなことだってできそうだ」という意味合いで使われるように感じます。
つまり、「選択肢が豊富でどれを選んでも、うまくやれるだろう」ということ。

逆に、「自分には可能性がない」という場合は「何にもできない」「選択肢がない」との意味合いを含んでいる。

では、前者は恵まれていて、後者は悲観するような立場かというと、そうではありません

「可能性がある」とは、自分の住む街にどんなジャンルの料理の店もあるような状態。
「可能性が無い」とは、和食の店しか無いような状態です。最初から選択肢が少ない。

では、「自分には可能性が無い」と感じる人が取るべき行動は?
答えは簡単で、他の料理はあきらめてさっさと和食の店にGOです。
和食の店に入れば、そのお店のメニューから好きなものを選ぶ楽しさや、おいしい食事にありつける喜びに触れられます。

これをいつまでも、「うわー、オラの街にはイタリアンがねぇだ〜…」「中華がねぇだ〜…」と無いモノねだりばかりしていると、おかしなことになります。他はあきらめて、さっさと和食へGOです。

方や、「可能性がある」、つまり「選択肢が豊富」とは側からみれば羨ましく映りがちですが、当の本人からすれば「選ぶのマジ大変」と、途方に暮れてしまうこともきっとあります。

それはまるで、「中華もイタリアンも和食もエスニックも、全部あるけどどれも食べたくて、選べねぇよチクショウ…。うわー、どうしよう…店決まらねー」状態です。
可能性がある人には、可能性がある人なりの苦悩がきっとあるということです。

さて、どの店に行くか?の例え話で進めてきましたが、最後に参考程度に具体例として、凡人である僕の話をします。

僕は自分に対して、この記事に書いてきたような「可能性」をまったく感じません。
本当に僕にできることは限られていて、周りを見れば「みんなすげぇなぁ」ばかりです。
とは言え、それを悲観はせず、「いろいろ選ぶ手間省けて助かるわ〜」くらいの感じに捉えています。

職業として、美容師を選んだのも僕に他のことをやれる「可能性がない」ことを理解したからです。
以前の記事で書いた「組織人として働ける可能性」もそうだし、「働かずに生きる可能性」もそう。

つまり、できないことだらけで省かれていった選択肢の中にいくつか残ったものから「美容師」を選びました。

それは、「自分に可能性が無い」と理解したことで開けた別の「可能性」です。
おかげで、僕はこの仕事が大好になれたし、お客さまのことも大好きで、清々しく日々を過ごせています。

「自分に可能性が無い」ことは、悲観するような話ではありません。
むしろ、数限りない選択肢を目の前に広げられより、選ぶのがラクだし生きやすい

無いモノねだりばかりでは仕方がないです。
自分の住む街に和食の店しかないならば、まずはそれを喜ぼう。そして、他はあきらめてさっさと和食を食べにお店へGO。
その店のメニューからだって、楽しく選べるし美味しい食事にありつける。

それと同じようなことを、生き方において実践してみると、もっと気楽に気持ち豊かに生きられるんじゃないだろうか。
そんな風に考えています。

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