椰子の木 井上陽水 宮崎駿
僕の地元鹿児島には、椰子の木がそこらじゅうに植えられている。海辺だったり、大きな国道沿いだったり。背が高く幹がとても細い。シューッと空に向けて立っている。僕も何度も絵に描いている。
毎年のようにやって来る、台風の強烈な風雨にさらされても、椰子の木が「ボキッ」と折れているところをほとんど見たことが無い。
椰子よりもずっと背が低く幹の太い木が、台風一過の後にボキッと折れてるのは、何度も見たことがあるのに。
椰子の木の風に煽られた時のしなり方はすごい。ぐにゃんぐにゃんぐいんぐいんにしなる。とても柔らかいのだろう。そして、だからこそ折れないのかも。なんだか、人生って感じする。
その椰子の木が立ち並ぶ国道で、運転席の僕の隣に座る助手席の友だちが言う。
「やっぱ日本って終わってますよ」。
彼の見る日本は終わっているらしい。
僕は日本が終わってても終わってなくても、どちらでも構わないのだけど、友だちはそんなわが国の現状を憂えているようにも見えた。
憂いにも、立派なのと貧相なのがある。僕の憂いのほとんどすべては、とても貧相だと思う。
絵の具出過ぎた…、味噌入れ過ぎた…、ティッシュ切れとるやん…、プリンターインクの予備無いやん…、前髪ハゲてきとるやん…、みたいな貧相な憂いしか僕にはない。
地域社会が、国が、世界平和が…、そんな立派な憂いを抱える器が自分にはないことを自覚している。それは仕方がないことで、別にそれで構わない。
井上陽水だって「傘がない」と歌っていたしなぁ。
そう言えば、井上陽水が、自分のアルバムのライナーで、「曲作りが、めんどくさい」みたいなこと書いていたのを、昔読んだことがある。
第一線のプロミュージシャンなんて、音楽を作ることが好きで楽しくて仕方がないんだろうと、勝手な先入観を抱いていた当時の僕にとって、それは意外なことで、今だに記憶に焼き付いている。
一方、かのジブリの宮崎駿が、「めんどくさい、実にめんどくさい」などとブツブツぼやきながら仕事している映像をYouTubeで見たこともある。
あれを見て、なんだか救われるような、ホッとするような思いがした人はきっと僕だけじゃないと思う。
世間では一流だの天才だの呼ばれてる人も自分と同じ「人間」なんだな、と。
生きてればめんどくさいことが、次々と嵐のごとくやって来るわけだけど、それこそ椰子の木の柔軟さでギュインギュインにしなりつつ臨機応変にやり過ごせたらいいかも。
と、なんとなくキレイにまとまった雰囲気だけで、中身のないことを言って今日はもう寝る。
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