「こんなことしてて、一体何になるんだろうか…」自分がやることの意味や成果を問うことについての話
ある年齢に差し掛かると、先の不安や心配からか、自分のやっていることに対して、「こんなことより他にやるべきことがあるんじゃないだろうか」とか、「こんなことやってて何になるんだろうか」などと考えて、今やっていることや、これから始めようとしていることをやめてしまいがちだったりします。
その割に、TVやスマホをダラダラ見ることに時間を費やしては「オレ、何やってんだろ」みたいなことの繰り返しで、状況は変わらないまま相変わらず不安や心配を抱えている。
不安や心配よりも、清々しさや気持ち良さに少しでも多く触れる日々を送りたいと、僕は思っています。
そしてその為には、「意味」や「成果」を問わずに、取りあえず思いついたことをやってみることの大切さを実感していますが、今日はそんなことについて書いてみます。
僕の話は「気楽に生きること」を目指しています。役に立つか立たないかは分かりませんがお暇つぶしにでもどうぞ。
では、本題に
思い返せば子供の頃の僕らは、「やりたい」と思いついたことは、(大人になった今と比べると)なりふり構わず実行に移していたように思います。
絵を描きたいなら描く、カブトムシを取りたいなら山に行く、自転車に乗りたいならとりあえず自転車で町を駆けまわる、みたいな。
それをやって何になるか?とか、そんなことはお構いなし。
「やる理由」は「やりたいから」。とても分かりやすくシンプルなものでした。
ところが、大人になるにつれてそうではなくなる。
その背景には「呪い」があるわけですが、この呪いとは僕らが成長する過程で自分の中に刷り込まれた「常識や風潮」です。
その中身は、「地位」「名誉」「お金」「センス」「才能」「人脈」「就職」「勝ち組」「結婚」「家庭」「マイホーム」…その他ありとあらゆる、ステレオタイプな「豊かさの象徴」であり、僕の中でそれらは単なる「呪い」です。ハッキリ言って個人の幸せや豊かさとは何の関係も無いと、僕は思う。
この呪いに強くかかってしまうと、自分がやろうとすることや、これから始めようとすることに「意味」や「成果」を問うことばかりになってしまいます。
たとえば、
「こんなことやってても、稼げるわけじゃないしな…」
「どうせセンスないから、うまくいくわけないよな」
「いままで続けてきたけど、これで何にも得られなかったな…」
など、こういった「やったところで、いったい何になるんだろうか…」という問いは、呪いの産物だと考えています。
そして僕の中では、人生には「意味」や「成果」を問うべき領域と、そうでない領域があって、これらもバランスです。
僕は美容師をしていますが、お客さまの髪に対して、僕に任せて良かったと感じて頂けるような「成果」を出さなくては、お客さまがせっかく来てくださった「意味」がありません。
僕はこの仕事を続けていきたいので、そこは自分に対してシビアに問い続けるべき領域であり、これを怠るとそもそも仕事ができなくなってしまいます。かわなべ、アウト〜てなります。
一方それ以外の部分で、自分のやること何もかもに「意味」や「成果」を問うことは、人生をきっと窮屈にさせると思います。
毎日絵を描いたり、ギターを弾いたりしますが、これらにはまったく意味や成果を問いません。
うまくできなくていいし、センスなくていいし、お金にならなくていいし、人に褒められ無くても全然いい。
何にもならなくていいから、とりあえず描くし、とりあえず弾く。
(作品は販売していますが、スタンスとしては、別に売れなくてもいいか、です)
他にも、散歩したり読書したり、こうやって文章を書くことについても、ただそうしたいからしているだけで、これが何かに繋がるとか、お金を稼げるとかそんなことは本当にどうでもいい。
つまり、「意味」や「成果」を問わない領域のこととして向かい合っています。
これら言ってしまえば「単なる暇つぶし」ですが、「楽しいなぁ」「ウケるなぁ」「オモロいなぁ」など、仕事とは違うジャンルの清々しさ、豊かさを運んできてくれる、時間の過ごし方です。
別にやらなくてもいいことばかりですが、これらを「わざわざやる」ことが日々を楽しむコツだと実感しています。子供の頃を思い出す感覚に近い。
とは言え、こんな僕も呪いに悩まされた日々は実に長きに渡ってありました。
何をしようにも「どうせうまくできっこない」「どうせお金にならない」「こんなことやってて何になる」などの思いが先立って、何もしようとしなかったり、やっていることに対しても集中できないし、楽しめないし、続かない。
今思い返せば空虚な時間の積み重ねだったように感じられますが、当時はいっぱいいっぱいで仕方がありませんでした。
さて、人が何かをして楽しんでる様子を見て、「自分もあれやってみたいな」と、もしそう思うことがあるならば、とりあえずやってみたらいいと思います。本当にとりあえずでいいからやってみる。なんでもいいと思うんです。
登山、手芸、スポーツ、将棋、絵、写真、キャンプ、切手の収集、ほんと、なんでもいい。
また、「やりたいことが見つからない」という話もよく聞きますがそれについては、以前記事にしました。よかったら読んでみてください。
そうやって、とりあえずやってみて「意味」も「成果」も問わない。
そのまま丸ごと楽しんでみる。
時として、本当にこんなことやってていいのだろうかという、思いはつきまといますが、それはそれで人というもののあり様(よう)でもある気がします。
誰しもきっと、完璧になんていきませんもの。
そして、最後に一つ付け加えます。
これまで散々「意味」や「成果」を問わないことを言ってきましたが、
もう一歩進んだところで、「やることそれ自体に、もう既に意味があり成果もある」とも、思います。
やったことで触れられる「清々しさ」「気持ちよさ」「達成感」。
これらは、お金を稼げるとか、人から褒められるとか、何かの一等賞になるとか、そんなものがなくてももう十分に自分を喜ばせてくれます。
だとしたら、やることそれ自体に、もはや意味があるし成果もある。そんな風にも思います。
大丈夫です。時間は十分にあります。
焦る必要はありません。
「人生は短い」とは振り返る時に使う言葉であり、これから先を生きる人生はまだまだ「長い」です。時間は十分あります。
意味や成果を問わず、とりあえずやる。
そして実はそれ自体に、すでに意味も成果もある。
そんな風に思います。
最後までありがとうございました。
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