説教くさい自分が内側にいる時の自分は、どこかが狂い始めているという話
大人というのは自分のバランス(機嫌と言ってもいい)を自分で取れるものだ、とは思いつつも気がついたらモヤってたり、鬱ってたり、逆に躁になってたり、全能感がほとばしっていたりする。
僕みたいな躁鬱の気がある人間ならば特に、かもしれない。
ネガティブだけが悪者のように言われがちな風潮だけど、ポジティブもフラットなバランスを失している状態という意味では、どっちも不健康だ。
振り子のようにあっちへこっちへ大きくブレる自分を整える術を備えることはとても大切だが、その前にそれに気がつけるセンサーを自分の中に持つこと。
このセンサーが敏感であるほどに、その後の大きなブレを未然に防ぐことにつながる。
めちゃくちゃやる気がみなぎっているときにあえて何もしない。
やる気が去った後に「なんでこんなことやってしまったんだ、、、」と自己嫌悪や後悔に陥ることを防げるから。
そもそも、やる気なんてものは、たいてい次の日には冷めているんだからその時のハイなノリに任せて動くとロクなことにならない。
自分のやる気、マジで信用ならない。
逆もしかり。ネガティブな時の感情任せに、他人に対してその時のノリだけで言葉を発さない。
大きくネガティブに振れている時の自分の判断力が正常なわけがないんだから。泥酔状態と変わらんくらい信用ならない。
そんな状態で無闇に言葉を吐いて、なにかいいことが起こりそうな予感はほぼしない。
これら、後々の面倒を防ぐために僕が個人的なルールとして自分に課していることなんだけど、じゃあどうやって「バランスの崩れ」に気がつくのか?
先に書いたように、「自分のバランスが崩れ始めているセンサー」を具体的に、できればいくつか持つと非常に便利である。
僕の場合、身近な存在である家族や友達に対して「説教くさい自分」が自分の内側に顔を出し始めたら、何かが狂い始めている兆しとしている。
たとえば、「なんでもっとこういう風にしないんだろ」とか「もっとこうしたらいいのに」とか「なんでこれくらいのこともわからないんだろ」とか、そういうの。
口に出さないまでも、うっすらと自分の中で考え始めてしまっている時は、何かがおかしい。
これは、センサーとしては優秀で、かなり早い段階での自分の変調に気が付くことに役立つ。
例えばSNS見てモヤっとする、とか、いつもなら冗談で流せるのができなくなる、とか、そういうあからさまでわかりやすいセンサーが振れているときは既に結構ヤバいところまでいっている。
それよりもずっと手前の方で「おい、おまえどっかおかしいぞ〜」と、自分に教えてくれるセンサーが、説教くさい自分の出現である。
ということでそういう説教おじさんとしての自分が、内側に現れたらすぐさま自分のバランスの調整に取り掛かる。
その時々でやることは変わるが、散歩したり、熱い湯につかったり、ラジオ体操したり、音楽を作ったり、岡潔の春宵十話読んだり、とかなんかまあ自分なりのいろいろ。
人間のバランスの崩壊というのはあらゆる種類の「満たされなさ」に起因する。
腹減った、とか、恋人いなくて寂しい、とかそういうわかりやすいものもあれば、自分では気が付きにくい、だがしかし放っておくとどんどん自分を侵食していくタイプの満たされなさもある。むしろこっちの方が多いんじゃない。
その中身がなんであれ、早期にそれを発見して対処できさえすれば、大きなトラブルにはならない。なんだか癌の話のようだけど、本当似ている。
ということで、センサーとしての説教くさい自分。
毎日ゴキゲン(フラット)に生きる上で、尊い技術の一つなので備忘録も兼ねて記しておく。