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昼休憩 並木通り スケッチ

12時ぴったり。昼休憩の時間になるとタッパーに詰め込んできた炒飯を、12時5分には平げてそのままバイト先の社屋を飛び出す。歩いてすぐ、近所の並木道沿いにあるベンチで午後の勤務開始時間ギリギリまで昼寝をするのが、当時の僕の楽しみの1つだった。

歩道に植樹されているのは、ソメイヨシノであり春になると満開の花びらが作るピンク色の影に包まれて、まどろみ過ごした。2度の春をその場所で過ごしたが、つまり、バイトは2年ちょい続けたことになる。

ベンチに寝そべって、移ろう季節それぞれに衣替えする桜の梢を見上げていると、なにも「満開の花」だけが美しいのではないことに気がつく。

花散った後の新緑の瑞々しさ。熟していく夏に濃い濃いと深みを増していく、黒緑の葉影。秋のセピア色や赤茶色の枯れ模様も、冬の張り詰めた空気に、凛と佇む枯れ枝も、それぞれの美は豊かにそこに佇んでいた。

そして、こんな「何気ない日々の美しさ」みたいな話はどこでもかしこでも語られて陳腐化しており、言葉にすればごくありきたりだ。
でも、ありきたり故に僕たちは忘れがちでもあったりする。
「ありきたり」とは、忘れるところまでがセットで「ありきたり」なのだ。
家に帰りつくまでが遠足なのと同じ理屈だ。いや、ちがうか。

さて、僕はその、並木道のベンチで何回もの昼休憩を過ごした。もちろん、雨の日は濡れるから行かなかったが、それ以外の日はほとんどそこに座ったり、寝転んだり、読書したり、音楽をポータブルCDプレイヤーで聞いたりした。

東京郊外の住宅街で、目の前は路線バスが走る通りではあったが、真昼時の交通量はほとんどなかった。
ある日の休憩中、並木通りをぼんやりと眺めながら思いつきで「あ、絵でも描いてみようかな」となった。

駅前のビルに入っている小さな文房具屋で、あまり画材らしき画材も見当たらない中手にしたのは、デッサン用の木炭だった。
それと、A4サイズのスケッチブックを買うと早速、次の日の休憩時間にベンチに座って絵を描いてみた。

結論を言うと、絵は2.3枚描いただけですぐにやめてしまった。
「ぜんぜん描けねぇやん」と自分の画力の無さに加えて、絵を描いていると集中するためか、時間が過ぎるのがあまりにも早いことも、僕にとっては問題だった。

せっかくの休憩時間が体感上ではあれ、一瞬で過ぎ去ってしまっては、なんだか休んだ気もしない。

当時のスケッチブックも木炭も描いた絵も、今は手元に残っていない。
記憶は定かじゃないが、おそらく引越しの時にでも捨てたのだろう。

ちなみに、どんな絵を描いたのか、全く覚えていない。

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