「あきらめない」とは、実は「あきらめまくること」でもある、という話
今日は、「あきらめない」と「あきらめる」ことについて少し考えを巡らせます。
僕の話は、いつも「気楽に幸せに生きること」を目指しているので、なんとなく息苦しさや、生きるのしんどい、と感じてる人は、暇つぶしにでもどうぞ。 役に立つかは、分かりませんが…。
では早速本題に。
僕たちは幼い頃から、学校教育や周りの大人たちから「あきらめるな」と言われて育ってきました。
テレビに出る有名なスポーツ選手や、各界の成功者の多くが「夢をあきらめないでください」という話をします。
僕はこの手の話には、大切なことの半分しか現れていないと感じます。
なぜなら、実現させたいことを「あきらめない」ためには、その影で数多くの「あきらめること」を必要とするからです。
これは、なんでもかんでも「あきらめない」でいると、かえって何にも手に入らないし、実現できないことを意味します。
つまり、あきらめないこととは、それ以上の数をあきらめることと表裏一体です。
ここで1つ具体的な話をします。
僕の高校の友達に、競泳のオリンピックメダリストがいます。
彼は小学校の頃から、とにかく水泳漬けだったそうな。
出る大会出る大会で、優勝や大会新記録をマークして、高校でも有名人でした。
彼はオリンピック出場を視野に入れ、日々努力していました。
その夢をあきらめなかったことで、メダルを取るという偉業を成し遂げた。
本当にすごいことで、尊敬しかありません。
では彼は、「あきらめなかった」だけかと言うときっとそうではありません。
高校生なんて、遊びたい盛りです。
僕ら同級生は、放課後になると近くの公園で、毎日のようにウダウダ話して過ごしたり、繁華街に洋服を見に行ったり、恋にうつつを抜かしたりと、思い思いの過ごし方をしていました。
でも彼は違った。
オリンピック出場というたった1つの夢のために、僕らのようなありふれた高校生活を「あきらめた」部分も多いはず。
自分の生活のほとんどを水泳の練習に捧げ、それ以外の娯楽やダラダラ過ごす時間の多くを、彼は「あきらめた」んだと、勝手ながら僕は想像します。
じゃなきゃメダルなんて取れないでしょ…。
オリンピックを目指す選手の練習には、きっと相当な負荷がかかることでしょう。
体はもちろん、気持ちのプレッシャーも含めて。
そんな時に、気楽にダラダラ過ごしている周りの僕みたいな同級生を見て、羨ましいと感じたことも彼にはあるかもしれません。
でも、こっちサイドの生活を彼はあきらめ、練習を続けた。たった一つの夢をあきらめないために。その結果としてのメダル獲得。
若いうちから、「あきらめない」「あきらめる」の分別を感覚的にであれ、見失わなかった彼の凄まじさに僕は敬服します。
そんな風に、表から見れば「あきらめない」生き方とは、裏から見れば数多くを「あきらめる」生き方です。
その意味で、何かの分野で一流と呼ばれる人たちは、「あきらめること」の達人でもあるわけです。メダリストの彼もそう。
これを、僕らも僕らの人生において実践すれば、きっと思い描く生き方に近づくことはできます。
オリンピックメダリストの話をした後で、すんごい落差ですが、僕の話を少し。
平凡なので、こっちのほうが親近感わくかもです笑。
僕は「気楽に気持ち豊かに生きること」をあきらめないようにしています。
掲げている目標がやや抽象的ですが、まぁ僕みたいな凡人はそんなもんでいいのです。ザックリでいい。
そして、この生き方を実現させるために、たくさんのことをあきらめてきました。
会社員になって経済的な安定や高収入を得ること。物質的な豊かさ。自分の才能やセンス。自分の体型やルックス。地位や名誉。その他数限りない物事。
経済的に安定したとしても会社員は、僕にはストレスになるし、物質的な豊かさにはコストがかかる。(と言っても日本での生活は、質素でも十分に豊か)
また、才能やセンス、体型やルックスなんかを他人と比較すると、ろくなことになりませんし、地位や名誉を獲得できるほど、何かにストイックになれるタイプでもない。ダラダラしたい。
そして、これらに対する執着を「仕方ないよな」「まぁいいや」と、半分開き直りみたいな感覚であきらめて手放すことで、ストレスの種から解放されます。
そうすると僕がどうしてもあきらめたくない「気楽で気持ち豊かに生きること」に、近づく。
今の時点では、高い水準で実現できています。
僕も表であきらめないことのために、裏であきらめまくっています。
自分の人生において実現したいことがあるならば、その1つをあきらめないために、他のことはバンバンあきらめることです。
たとえばお金、地位、名誉、外見、才能、技能、気持ちのゆとり、時間のゆとり、その他多くの手に入れたい物をどれもあきらめられないと、結局はどれ1つとして手に入りません。
スーパーマンなら可能かもですが。
長々と書いてきましたが、
あきらめないことと、あきらめること、は表裏一体です。
自分があきらめたくない、たった1つのためには、他の全部をあきらめる。
それくらいのバランス感覚でいかないと、結局何も実現できないかもしれません。
あきらめることを続けた先に、あきらめないことが手元に近づいてくる。
そんな風に考えています。
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