これが最後になるかもしれない外出の話
初盆を迎えた親戚の住む町へと出かけることになった。高速を使って約1時間半の道のりを、父の運転で行くことになっていた。
肺を病んでいる父は、まともに100メートルも歩けない。
喘息のヘビーなやつみたいな感じで少し動くだけで、呼吸が苦しくなる。
でも、車の運転は好きだから出発前に「大丈夫だ、オレが運転するから」と、まったく大丈夫じゃ無さそうな顔色で言っていた。
実は、この日に先立つこと数日、母が話していた。
「お父さんもあんな調子だしさ、もう家族で遠くに出かけられるのも最後になるかもしれんね。」
と、しみじみ。
もともと家族で出かけることなんてほとんど無かった僕たちだけど、体を病み、目に見えて日々衰えていく父を隣で見ながら、母は少し感傷的になってそう言ったのかもしれない。
そうだよな、と思った。
あの様子じゃ本当にいつ何があってもおかしくない。みんなで出かけるのも、今回が本当に最後になるかもしれない。
ならば、一瞬一瞬を少しでも味わって過ごせたら、そんな気持ちで助手席に乗った僕。
そうして親戚の家へ向けて出発した5分後の車内。
あれだけしみじみと「今回が最後になるかもしれんね」と言っていた母が、もう寝息を立てている。きっと疲れが溜まってたのだろうか。
あ、やっぱりそういう感じなんだ…。
と、なんとも言えない脱力感に襲われた僕。
「今回が最後かもしれんね…」の言葉やその時のしみじみとした母の表情が、前フリにさえ思えてくる。
今日を大切に過ごすかと思わせといて、いやすぐ寝るんかい、みたいな。
まるで、お笑いの王道メソッドじゃないの。
車を走らせて1時間ほど、親戚の家にほど近い場所にある道の駅に、休憩で立ち寄る。
ずっと寝ていた母も、トイレに立つ。
僕は僕で、休憩がてら売店をなんとなく見て回る。
謎の性癖でどういうわけかこういう時、無性にソフトクリームを食べたくなる。
売店の前にソフトクリームの大きな看板が見えたので、買うことにした。
そして、休憩スペースのベンチに腰掛けてソフトクリームをぺろぺろ。
なるべく時間をかけずに食べ終えると、父と母の待つ車へと戻る。
すると「遅ぇ!!」と、ガチのトーンでキレている父。ガチのやつ。
車内の空気もいい感じに悪くなった。
昔からせっかちで、少しの時間でも待つことが嫌いな父。
短気ですぐにイライラして、怒鳴られることもよくあったが、息子がアラフォーになってもこの調子。
怒りってものすごくエネルギーがいると思うんだけど、肺病んでてもそんだけ怒れるの逆にすごいな、と。
疲れて寝る母に、キレる父。
「最後になるかもしれない」外出の車内は、結局そんな感じだった。
とり立てて楽しくはなかったけど、もしこれが最後の外出になったとしても悔いはないな、と思う。
うちの家族らしい外出だったから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?