牛肉 タレ グラデーション
食卓の真ん中にドカッと陣取ったホットプレートの上に、一枚一枚肉を乗せていく。
ジューっと音が上がる。スーパーで買った「ちょっと良い牛肉」が、生の赤から次第に焼けた色へと変わってゆく。
プレートの縁側では、玉ねぎや椎茸、ピーマンなどの焼き野菜が乗せられている。
焼き肉の何がうまいって、タレがうまいよな、などと思う。
タレさえ美味しければ、あとはなんとでもなりそうな気もする。なんなら、タレだけで結構白飯がすすむ。
だがしかし、こんなことを言ってしまってはせっかく「ちょっと良い牛肉」を用意してくれた相手に、面目ないので言葉には出さない。
さて、焼き上がった「ちょっと良い牛肉」の、そのポテンシャルを自分なりに堪能しようと、初めの一枚はタレも何もつけずに食べてみた。
こう思いました。「おいしいですね」
フツーかい。フツーのこと言うんかい。と、自分にツッコミつつ、とは言え美味しい以外の言葉が見つからないのが、美味しい食事にありつけた時のもどかしさではある。
2枚目、タレをつけて食べてみる。
こう思いました。「おいしいですね」
いや一緒かい。おんなじこと言うんかい。と、自分にツッコミつつ、やはり美味しい以外の言葉が見つからない。
さて、美味しいと同じ言葉でくくったにせよ、その美味しさにはグラデーションが存在する。
美味しさのパワーとでも言おうか。
10美味しいもあれば、100美味しいもある。しかし、10でも100でも僕らは一括りに「美味しい」と言ってしまう。
これでは、100美味しい食材が「いや、10と一緒にすんなし」と、腹を立てかねないがどうしようもない。
肉を食べた次は、玉ねぎと椎茸を頬張ってみる。ここまで読んでいるあなたはもう僕が何を思ったか想像がつくことでしょう。そう、
「おいしいですね」
と、思いました。
無類の野菜好きとして知られる僕をして「おいしいですね」と思わしめた野菜もさることながら、やはりタレがおいしいですね。
取り皿に、浅く張った残りのタレを見てみると、牛肉の脂が浮いていた。
箸先でちょろっとすくってご飯につけて食べてみる。やっぱり、おいしいですね。
である。
少し前は20時ごろまで明るかった外も、夏至過ぎたこの頃は7時過ぎには随分と暗い。
うすいピンク色したマンションの4階。部屋番号402に灯る灯りの中で、今日もおいしいですねを連発する僕がいる。
ちょっと良い牛肉は、確かにちょっと良い感じではあった。おいしかった。
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