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二度と教えない奴ノートに載せたい懲りない面々

 私は色々ノートを持っている。漫画DEATH NOTEに出てくるデスノートになぞらえて作ったものだ。デスノートに名前を書かれた奴は死んでしまう、殺したいやつ、殺されたほうがいいヤツの名前をそこに書く。

 それになぞらえたノートを私は何冊か持っているがその中のひとつに『二度と教えないノート』がある。そこには、私が二度と教えたくない奴の名前が載っていてその人たちには二度と教えないようにしている。

 こう書くととても横柄で上からなやつに私は見えてしまうが全然違う。私は基本的に教えるのが好きでそれをのぞむ人にはどちらかというと積極的に教えてしまう。教えることを生業にも知ているし、だからといってお金をもらわないと教えませんよということでもなくわりと気軽に教える。

 とはいえ、いわゆる市井の教え魔ではないということもつけ加えておく。やたらめったら聞かれてもいないのに教えるタイプの人間ではない。聞かれたら、教える。本当に習いたいのかを徹底的に聞く。本当に私でないと駄目なのか、他の人でもよいのではと念のため確認する。それでもあなたから教えを請いたいって人にだけ教える。

 それだけしてまで教わりたいのだから、もうこれは私が教えることは絶対に聞き守りトライするだろうと思って教え始めるが、これがそうでもないケースが思っている以上に存在する。

 全然聞かないのだ言うことを。もういちど言っておきます「すみません、あなたの英語おかしいです。私が教えるから学びませんか?」って売り込んでいるわけではないのだ。

 あなたが頼むから教えてくれと言ってきたから、本気で学びたいって言ってきたから教えてたのだ。そういえばみさおさん前もこんなこと書いてたよねって思う方も多いと思うけど、また違う案件がでてきたので今回披露することにしたのです、あしからずご了承くださいませ。

 今回のやつはたちが悪い。こうやって近づいてきた 

「みさおさん、英会話を勉強しているんですけどいまいち上達しないんですよね、何からやればいいですかね」 

 と。お、聞いてきたなと思った。以前のnoteにも書いたが私はここで本気かどうかを確認することにしている。そして、私が言ったことは絶対なのでそれをやるなら教えるということを告げる。 

 なんかこれだけ読むと随分嫌なやつだなあ俺はって思う。過去の教わりたい風の奴らがきっとこんな俺をつくったのだ、ちくしょう(T_T)

 もちろんです、みさおさんは英語ペラペラってことを聞いたんでガッツリ教わりたいと言ってきたので何度も確認して教えることにした。

「文法です」

と言った。私は中学3年間と高校1年で習う文法は英語を学ぶ上で、もちろんペラペラになる上で大いに役に立つと思っている。結局語学って単語をルールにそって並べることでなりたっているので、そのルールを知ることは必然となるのだ。

 子供はそれを間違いならお母さんに直されながら順番を覚えていく。大人は子供より賢いので理屈で並べ方を覚えたほうが早いのだ。だから文法をやれという。5文型をやるよという。だからそういった。すると彼は

「いやいや文法は違うでしょ、英会話ですよ。学校英語がだめだからしゃべれないんですよね」

と言ってきた。ほんまやったらその時点で帰っていいのだが、いまいちどわかってもらおうと文法はねと始めた。

 でもだめだった。文法なんかで話せるわけないやんってのを言ってきた。さらにいうと私のレッスンは文章を5文型と文法を使って読みまくるってのから徹底的にやるよってのを言うと、いやあ、それやったら無理ですわ僕、文法さんざんやってきてますから、結構英語の成績よかったんですよでもしゃべれないからと言ってきた。

 それではお互い相容れないの無理ですねと事前説明会の段階で契約とならなかった。それが半年前の話。まあそんなことはよくあるし合う合わないのがあるので大丈夫なのです。そんなことで私は彼をノートに書いたりしません。

 事件は半年後の先週起こりました。

 久しぶりにあった彼がいってきたのです「みさおさん、こんにちは。ごぶさたしています。そういえばあのあと英語のいい先生にであって英語勉強していていい感じなんです」と。

 おお、それはよかったねいい先生にであってんなあと言ったら、その人は帰国子女で大学までアメリカにいて日本に帰ってきたという人。両親が日本人で日本語もペラペラのバイリンガル。その人にならっていて最高だと。

 それはすばらしいなあと思い興味本位で勉強方法を聞いてみた。バイリンガルだし英語でガンガンやるのかなあと思ってた。

「みさおさん、英語は文法ですよ」

という。はあ?となったが慣れているので、それ俺が言ってたやんとは言わない。これこれこのパターンあるよねと聞いていた。彼は私と英語は文法ではないよと契約不成立になったことをまったく記憶しておらず、文法と5文型の大切さを説いてきた。

 よくあることで慣れているとはいえ、これはいつもいつもとても悲しくなる案件なのだ。結局誰が言うかってことになるのだ。TOEICが800点前後の日本人の私が言うより英語がネィティブのバイリンガルが言うほうが耳に残るし説得力が全然ちがうのだ。

 おいおいそれ俺がゆーてたやんと心のなかでつぶやきながら、表面では満面の笑みでよかったやんと答えながら、帰路につき家に帰って机のひきだしから『二度と教えないノート』をだし日付と名前を書いた。

 残念ながらこれで彼は今後俺から何も教わることができなくなったが、俺に教わる気がない彼には何の弊害もないだろう。

 このノートの特徴は、完全に持ち主の自己満足と閉塞感を得るだけというところ。寂しさと悲しさが積み重なっていくだけのものとなっている。

 そんなノート、はたして意味などあるのだろうか。

 ねえねえ誰か、俺に教えを請うてくれませんか。

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