トークショー採録① 山村浩二さん
シアター・イメージフォーラム トークショー
5月15日(土) 13:00~ 川本喜八郎回上映後
アニメーション作家:山村浩二
聞き手:山下泰司(WOWOWプラス)
―― 山村さんは、生前の川本喜八郎さん、岡本忠成さんとも懇意にされてらっしゃいました。
名古屋から上京して東京造形大学に通っていたころ、川本さん、岡本さんお二人の短編アニメーション作品を知り、その後、ご本人たちとも親しくさせていただいて。特に川本さんとは亡くなるまでずっとですね。お葬式は密葬だったのですが、その時もご自宅にお邪魔させていただいて。ちょっと今それを思い出すと悲しくなってしまいますが、本当に良くしていただきましたので。
上京して最初にお会いしたのは岡本さんでした。友人の誘いで卒業制作の途中段階のものを、岡本さんに見てもらいに行こうということで、どこに住んでいらっしゃるのかも僕は存じあげなかったんですけど、彼に連れられて行って作品を見ていただきました。その後もまた呼んでいただいて、『注文の多い料理店』制作中のスタジオを案内してくださり、その時に作品のお手伝いを打診されたのですが、ちょうど自分が独立して仕事が入り始めた時期だったので関われず、とても残念でした。その時は友人を一人紹介して、彼が仕上げを手伝っていました。
―― 岡本さんというのはどんな方でしたか。
大阪出身の、すごくざっくばらんで、大らかな感じの方という印象でした。レーザーディスクの作品集に収録されていたドキュメンタリーの映像でお姿は拝見していました。まだ学生のどこの誰とも知らない者がいきなり押しかけても、丁寧にスタジオでの制作や仕事のことを話してくれて。すごく印象に残っているのは、やはり、作品を商品として成り立たせつつ、自分のやりたいことをその中で実現するという意思をすごくハッキリと、初めて接した時も感じました。自分の狙うところはしっかりとある、でもそこで「売る」ためのポイントもすごく明確に分かった上で作品を作っている。
―― 岡本さんは、完全な自主制作の作品もありますが、いわゆる「教育映画」というフィールドで、そうしたものを作っていた会社に企画を出して、その資金で作っていた作品も多いですからね。一方の川本さんは、どんな人だったでしょう。
作品の印象と違って社交的な方で(笑)。ちょうどその頃、日本アニメーション協会の会長もされていて、海外から著名な短編アニメーションの監督たちが来日すると、川本さんが自費でおもてなしをされていて、たびたび僕もそういう席に呼んでいただきました。カナダのNFBで作品を作っていたコ・ホードマンさんが来日された時は、「是非、人形浄瑠璃を見せたい」と。それで僕も一緒にチケットを取っていただいたりお弁当まで用意していただいて。川本さんは人形師さんとも交流があったので、楽屋裏で直接人形の仕組みなんかをコ・ホードマンさんと一緒に見せていただいたり。
―― 山村さんが人形浄瑠璃をご覧になってなかったとは意外な感じもしますが。
20代、せいぜい30歳とかそんな年齢では、なかなか日本の古典芸能に触れるということはなかったですね。
―― 川本さんにしても、狂言とか文楽の世界にグッと接近するのは、留学したチェコから帰ってきての話ですものね。
川本さんは「古典には宝が眠っている」ということをいつも仰っていて。実は僕、寄席も行ったことがなかったんですね。それで川本さんが「『頭山』を作っておきながら、寄席に行ってないとは!」と(笑)、チケットを送ってくださって。その時ちょっと落ち込んでいて、理由は覚えてないんですが、それで寄席に行って落語を聞いて、すごく笑って気持ちが救われた、というのを覚えています。『頭山』が2002年ですから、その後くらい。昔はラジオやテレビでも落語をよく放送していましたから、どういうものかはもちろん知ったのですが、なかなか学生で寄席に行くことってないですよね。僕は本で落語を読むのは好きだったので、本からの知識の方が大きかったです。
―― 少し、山村さんご自身の作品に寄せて話を続けていこうと思います。山村さんは『頭山』で音楽と語りとして浪曲の国本武春さんを起用されてますが、川本さんが『鬼』で浄瑠璃の鶴澤清治さんの三味線を使ったり、『火宅』で能楽師の観世静夫(後の8世銕之丞)さんをナレーションで使われていることに触発されたようなところがありますか?
こういう古典芸能の方がアニメーションにも声を入れていただけるんだ、いいなあ、とは思っていました。ですが『頭山』にそういう狙いはなかったんです。声の雰囲気とか張りとか、キャラクターで国本さんに、という意図だったので、浪曲の曲調でやっていただくことは考えていませんでした。録音当日に、国本さんがアドリブで浪曲のスタイルで聞かせてくださって、あまりに面白かったのでそちらにしようということになったんですね。この時まで、生で浪曲を聞いたことはありませんでした。
―― また『カフカ 田舎医者』(2007)の声では、狂言の茂山一家が総出で参加されています。
人間国宝だった四世・千作さんと息子さん、お孫さんたちにお願いしました。『頭山』で古典的な芸能の声もアニメーションに合うという自分の実感はあって、カフカ作品にシニカルでブラックな笑いの要素があることと、実験としてカフカと狂言という、一見かけ離れた世界をあわせてみたら面白いかもと、まあ本当に思いつきに近いアイデアから始めて。カフカはギリシャの至言から影響を受けていているので、古典的な演劇調の発声はカフカのテキストに合うのではと思っていました。それで、まず現実的にどうかと、お孫さんの一人、茂山茂さんにカフカの原作を狂言調で読んでいただくテストから試行錯誤していきました。
そう言えば、『カフカ 田舎医者』を作っている時に、川本さんが留学時代に入手されていたチェコの街並みの古い写真集があるからと、「あげるよ」と、参考資料として大きな写真集を2冊ほど譲っていただいたこともありました。
完成した時には、川本さんに試写会に来ていただいて。松竹さんの試写室だったんですけど、大変気に入ってくださって、その日、試写が2回組まれていたんですが、「もう1回見たい」と、2回も見ていただいたのはすごく嬉しかったです。
―― 今回の劇場パンフレットの中にも山村さんのインタビューを載せているんですが、その中で、川本さんの短編では『火宅』が集大成であり「人形の可能性を追求してきた川本さんの到達点」だと思うと仰ってます。実は、今回の4K修復版をロンドンに住んでいる双子のアニメーション作家というかアーティスト、クエイ兄弟(=ブラザーズ・クエイ)にもオンラインで見てもらったんですが、彼らも「どれも素晴らしいけれど、『火宅』は並外れた傑作だ」という反応だったんですね。『火宅』の凄さとはどんなところなんでしょう。
『火宅』はまずストーリーの凄みがあって、不条理な状況にある人間の葛藤が本当に凄まじい。今思うと、初めて見た頃の自分はまだ二十代で、男女の情念とかそういうものは理解できてなかったと思うんですけど、それでも『火宅』には打ちのめされたんです。
―― 僕なんかの素人目には、ちょっと派手さのある『道成寺』の方が単純に面白いというか、キャッチーなんですが。
『道成寺』も20代の頃見て、何かちょっとピンと来ないというか、物足りないなっていう印象があったんですね。それは、多分画面の作り方の印象かもしれません。
川本さんの作品の多くは、ご覧の通り、背景をフラットな日本画にするという画面作りですよね。人形劇をやる時には奥行きのあるセットを作りますが、アニメーションになると意図的にフラットにする方向です。岡本さんも多分、そういうことを意識していたと思います。『おこんじょうるり』の人形を平面の上に立たせたシーンや、『ほたるもみ』という未完の作品では、立体なのかパステル画なのかわからないような質感を探っていました。人形という立体的な素材を使いながらも、画面を平面にしたいという欲求があった。自分もその気持ちがわかるし、影響も受けています。
それが『火宅』では、動きに関しても奥行きが出てくる。立体的であることと平面的であることを両立させて、画面を自分のコントロール下にしっかりと置いている。その抽象化の完成度が『火宅』の方が高いのかなと。『道成寺』はまだそこがコントロールしきれていない印象があります。
―― 今日、この後、続けて岡本さんの回を見る方も少なくないようですので、そちらのガイドもお願いできますか。
岡本さんはまず、かなりテーマがはっきりしています。狙いが明確で、とてもわかりやすい作品だと思います。自身も、大衆性と芸術性のバランスということを言っていて、それは今日最初にも話した、商業的に成立させる部分と自分がやりたいことという部分、その両方がある。ある意味で、すごくサービス精神のある映画だと思います。その中で長年アニメーションの可能性を追求してきて、すごくバリエーションがあって、いろんな実験をしている。今日のプログラムも、技法の面だけに注目しても様々な作品があります。だから、デジタルの時代まで岡本さんがもしもご存命だったら、どんなことをしてくれただろうと。多分、いろんなことにいち早く、どん欲に挑戦されていたんじゃないかなと思います。
その画面の面白さと、あとやっぱりチームで作るっていうこともすごく意識されていて、それぞれのスタッフの力量をうまく引き出しつつ、自分はあくまで監督という視点で常に客観的に捉えていたという印象はあります。
そして本当に演出力というか、「想い」の部分がすごく強くて、生前も「泣かせの岡本」と言われていたみたいなのですけど(笑)、僕も何作か、見るとどうしても泣いてしまう作品があります。しかし、それはただ感動させようとか、泣かせようということではなく、その涙腺を刺激する演出の奥に、人間自身への信頼のようなものがしっかりあるからこそ、その豊かさに感動するのかなって思います。
―― そろそろお時間も迫ってきました。山村さん、今、新作を作っておられるとか……。
ちょうど先日、音のミックスが終わって完成しました。これから夏以降、いろいろ映画祭で上映出来たらいいなと思っています。まだ日本での公開の目途はたっていませんが来年には公開できたらと思います。『幾多の北』というタイトルで64分と、これまでで最長の作品です。もうひとつ、『ホッキョクグマすっごくひま』という7分の短編も制作しました。勤めている東京藝術大学で、サバティカルという長期研究休暇をとって、昨年4月から12月まで制作に集中していました。『幾多の北』は2012年〜14年にかけて描いていた「文學界」(文藝春秋)という文芸誌の表紙の絵とテキストがベースになっています。少しずつ実験をしていたんですが、なかなか本格的に制作に入れず、ちょっと大学の業務をしながらでは難しい、しかも長編になりそうだから1〜2年ではできないだろうと思っていました。サバティカルを取ってせめて作品のベースになる部分まででも進められばと思っていたんですが、コロナになって、依頼の仕事や世界中の映画祭やいろんなイベント、講演などもゼロになって、本当に集中できたんですね。コロナはまあ僕にとってはありがたく、もちろん良いことではないですけど、この貴重な時間を使って思いのほか早く完成することが出来ました。
―― 楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。
*山村さんの運営するアニメーション関連のギャラリー&ショップ、Au Praxinoscope(オー・プラクシノスコープ)が世田谷区奥沢にあります。ここでしか手に入らない海外のDVDや書籍がたくさん。通販もあります。