川本作品、岡本作品の音の魅力
今回の川本喜八郎、岡本忠成特集上映、オリジナル・ネガからの4K修復も素晴らしい高解像度、色味に仕上がったのですが、音の方もかつてのプリント(フィルム)での上映に比べて格段にリッチなサウンドに仕上がっています。試写をご覧になった、業界の玄人筋の方からも「『おこんじょうるり』ってこんなにいい音だったのか!」「岸田今日子さんの語りがこんな音質で聴けるなんて……」「音の修復は一体どうやったの?」という声が聞かれました。
元の素材はほとんどが35mm(フィルムの横幅の長さです)の音ネガ(川本さんの『花折り』のみ原版が16mmですので音ネガも16mm)、岡本さんの後半の3本、『虹に向って』『おこんじょうるり』『注文の多い料理店』については、その音ネガの元になった16mmのシネテープ(フィルムの映像とシンクロさせるために両側に送りの穴のついたフィルムのベースに、昔のオープンリールやカセットテープと同様に、茶色い磁性体が塗布されたもの。こちらの方が音ネガよりも音質が良い)が使える状態で残っていました 。それらアナログの持っていた情報をなるべく損なわないよう、それぞれ192kHz/24bitのデジタル・データに変換し、日本有数のマスタリング・スタジオ、SAIDERA MASTERINGの代表、オノ セイゲンさんにお渡しし、経年のために原版に付いたノイズの除去や、元の録音時に意図されていたであろう音質を蘇らせるマスタリングを行っていただきました。
よく「映画の半分は音だ」と言われます。映画というものを成立させるために音の果たしている役割はとても大きい、という意味ですが、現実をそのまま写したわけではない、すべてが人為的に作られた(自然の助けがない、と言い換えることも出来ます)アニメーションという表現にとって、サウンドの作品への貢献度は実写映画以上のものであるかもしれません。
川本さん、岡本さんの作品についてもまさにそうで、川本さんの方では、小森昭宏さん(童謡「げんこつやまのたぬきさん」の作曲や、アニメ『勇者ライディーン』の音楽ほか)の『花折り』の太鼓や笛、鉦による、どことなくコミカルな邦楽、義太夫節の鶴澤清治の三味線が小気味よく物語を運ぶ『鬼』、現代音楽の湯浅譲二、松村禎三、武満徹の先鋭的なアプローチが聞かれる『詩人の生涯』『道成寺』『火宅』と、錚々たる面々が音楽を手掛けています。また、『花折り』では物語の中心となる小坊主が話し言葉ではない声やお経を発するのですが、これを演じるのが黒柳徹子(川本さんとは共に劇作家・飯沢匡の門下で、お若い頃から友人同士)、また『火宅』でナレーションを務めるのは能楽師・観世静夫(後の八世・銕之丞)とこちらも凄いメンバーです。
一方の岡本さんも、そもそも「歌」を土台に作られた作品が多いですから、こちらも聴きどころ満載。『チコタン』は関西弁の合唱組曲ですし、『虹に向って』は小室等らと六文銭というフォーク・グループをやっていた及川恒平によるオリジナル・ソングがお話を進めていきます。『注文の多い料理店』は作曲家・廣瀬量平による緊張感あふれる弦楽やバルカン半島や東欧を匂わせるダンス音楽が魅力。『おこんじょうるり』の病人を治す浄瑠璃の名調子は一度聞いたら忘れられないでしょうし(劇場を出る時、気が付いたら歌っているだろうと思います)、登場人物の婆さまも演じている長岡輝子のナレーションの味わい深さには誰もが目を潤ませることでしょう。語り、ということでは『サクラより愛をのせて』で聞かれる落語家・桂朝丸(現・ざこば)のマシンガンのように放たれる言葉の勢いに微笑みつつ、これも後世に伝えていくべき日本の素晴らしい話芸だなあ、と感じ入ります。
こうした「音」の数々が、オノ セイゲンさんの素晴らしい耳と技術によって磨きがかけられ、まるでスピーカーの後ろに演者その人がいるかのような迫力で劇場の空間を満たします。三味線の鳴りなど、弦に撥が当たる様まで目に浮かぶようですよ。
今回は最終的に映画館ではどう聞こえるのか、マスタリングした音を映像と合わせて、IMAGICAの第一試写室でセイゲンさん立ち合いのもと、試写を行い、さらなる微調整と、どれくらいの音量で聞こえるべきか、DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)に収録するデータのレベルの追い込みまでしっかりやりました(というのは、およそ5年前にやはりセイゲンさんにマスタリングをお願いしたユーリー・ノルシュテイン作品集の時は、劇場を前提とする適正レベルがよく分かっていなくて、初号試写の際、音が大きすぎて、ご来場いただいた故・高畑勲監督に怒られる、という一幕があったのです……)。今回の作品群は、最近の映画のようにダイナミック・レンジ(一番小さい音から一番大きい音までの幅)が広くはありません。そして、ことさらに大きな音で聴くべき作品群でもないので、やや小さめ、落ち着いた音量で聴けるようにしてあります(上映してくださる劇場の方、そんなわけですので、「なんか音小さいな」と無闇に上げないでいただければと思います)。
最後にセイゲンさんご本人の弁。
「商業音楽の世界のマスタリングでは、プロデューサーから、売れる音(ポップでキャッチー、いまだに音量や、派手さなど)を期待されることが多いのです。
一方、音楽の歴史的録音や映画の修復版の音声マスタリングでは、自分のエンジニアとしてのこだわり、個性、趣味趣向は封印します。音楽収録スタジオで、あるいは映画のダビングステージで、『現場ではこんなふうに録音されていただろう、こんなふうに鳴っていただろう』とイメージすることに徹します。元の音を決してデフォルメすることなく、決して『自分』を押し付けない。その際にリファレンスとなるのは、やはり実際の演奏、音を目の当たりにした経験です。例えば三味線なら人間国宝の演奏、音色を目の前で聴くような機会があればベストです(まだまだ機械学習ではできませんね。地味な仕事ですがインターンシップ募集中!)。」
オノ セイゲン
美しい映像と美しい音のコンビネーション、存分に味わってください。