見出し画像

「だるま朝日」観察に取り憑かれた人

1月1日に昇る朝日。
人はこれを「初日の出」という。

大分県大分市佐賀関半島の南側は、太平洋に面し海が開けているため、毎年「初日の出」を拝もうとする人たちが押し寄せ、元日は交通渋滞が起こる。
小さな田舎町に向かう車は長蛇の列、人々が海岸に沿ってずらりと並ぶ。
スマホのカメラが一斉に海に向けられ、日の出を今か今かと待ち望む。
そして「初日の出」が昇ってくる。

「出てきたよ!」
「きゃ~綺麗」
「見えた見えた」

歓声が沸き上がる。
「明けましておめでとう!」
新年のあいさつを交わす声がそこここで聞こえてくる。
そして日の出から10分も経たないうちに蜘蛛の子を散らすように、あっという間に人がいなくなる。

2024年1月1日も、この恒例の光景が繰り広げられた。

私が朝日の観察を終え、振り返って岩場を見上げると、地元ケーブルテレビのカメラマンがカメラを構えて居た。

「明けましておめでとうございます」

新年のあいさつをして、お互いに日の出の感想を言い合った。

「今日は、うーんって感じ・・・」
「光が強すぎましたね~」

日の出が見えたのに、ちょっと残念がる人たち。
「初日の出」を見に来た人たちがこれを聞いたら、とても失礼に思うだろう。おめでたい新年の日の出が見えたのに、文句言うな!と。
しかし、我々は「初日の出」ではなく、「だるま朝日」を観察に来たのである。十数年に渡り、冬にしか見られない貴重な朝日を狙って年末年始の一か月間、通い続けることを毎年繰り返している。

「だるま朝日」とは、海水の温度と大気の温度差によって蜃気楼が起こり、太陽の光が屈折して不思議な形に見える朝日のことを言う(夕日の場合は「だるま夕日」と呼ばれる)。
餅がぷっくり膨らんだような、昔話に出てくる鍵穴のような、クラゲのような形で、もう一つ太陽が昇ってきそうな不思議な形の朝日だ。

蜃気楼が起こることで見られる不思議な形の「だるま朝日」

この「だるま朝日」は、そうそう簡単には見られない。

まず第一に、朝日が昇る方向に水平線が開けていて、50km以上先に島や陸地がないという条件が上げられる。
次に、天気。観察する日の水平線に雲がかかっていないことが必須だ。上空が晴れていたとしても、朝日が昇ってくる水平線上に雲があれば、海面からの日の出は望めない。
そして、大切なのが蜃気楼。海水温と大気の温度差が大きくなることで蜃気楼が出現し、そこに太陽が昇ってきて初めて「だるま朝日」となる。

私たちが「だるま朝日」を観察している場所は、この三つの条件が当てはまるのが12月初旬から1月初旬の1か月間である。

この場所から「だるま朝日」が観察できることを発見したのは、昭和の中期、佐賀関町立の小学校・中学校(現大分市)で理科の教員として教鞭をとっていらした船田 工先生(2016年没)だ。まだインターネットもスマホもなく、フィルム式カメラさえもほとんど普及していない時代に、コツコツ毎朝通って、半島のどの場所から「だるま朝日」が観られるのかを記録していかれた。

上の三つの条件がそろい「だるま朝日」が見えたとしても、当時はフィルム式カメラでの記録なので結果が分かるのは現像した後となる。ピントや露出が合っていない状態で撮影された時には、残念な写真がたくさんプリントされる。記録として残すのにとても苦労したと船田先生はよくおっしゃっていた。

先生にお誘いいただいて私も2004年から、この「だるま朝日」観察をするようになった。2024年で20年目となる。

たかが朝日とあなどることなかれ。
毎日通っても条件がなかなかそろわないため、「だるま朝日」自体がほとんど見られない。
そして上の写真のような、条件のそろった中での「だるま朝日」が観察されるとそれで十分と思われるのであろうが、そうもいかない。

「もう少し靄がかかっていれば、輪郭がはっきりしたのに」
「もう少し寒かったら、蜃気楼がしっかり起こって形が面白くなったのに」
「もう少し風が弱かったらカメラがぶれなくてよかったのに」

出来るだけ条件の良い状態での「だるま朝日」が見たい。人間とは欲深いものである。

20年も続けていると冬の「だるま朝日」の観察が習慣化してしまい、朝5時くらいに目が覚め、天気を確認してしまうのだ。
面白いことに、上空が曇っていても、水平線だけが晴れていれば見られることがある。雨が降っていても一瞬の晴れ間に見られたりもする。

「行ってみないと分からない」というのがこの観察の肝だ。
朝は眠いし、見られないことが多いのだから行っても無駄なんじゃないか、と思いつつも、「もしかしたら見られるかもしれない」と期待して足が向いてしまう。

同じように「だるま朝日」の観察に魅せられた人がいる。先の地元のケーブルテレビのカメラマンたちだ。

「今日こそは美しい「だるま朝日」となるかもしれない」

我々はとり憑かれたように通ってしまうのである。

その結果、「初日の出」が見られるであろう元日に押し寄せる人々の行動が不思議なものとして目に映るようになった。

年末にその場所に訪れた人は数えるほど。
1月2日も日の出を見に来た人が数人と、魚釣りの人がちらほら。
この間に挟まれた元日にだけはわんさか人が集まってきて大賑わいとなる。

「朝日は毎日変わらずに昇ってくるのに、どうして元日だけあんなに人がやってくるのだろう」

そうつぶやくと、
「そんなの当たり前や」
正月休みで帰省した弟がお神酒を前に返してきた。

「初日の出」は、暦の中の区切りとしての新年に初めて昇ってくる朝日で、心新たにしようとする人々の気持ちが込められるのだろう。昔から生活の中で区切りをつけるということは大切であった。一般的に広く知られている新年の朝日はありがたいもの。

有難いという意味では文字通り「だるま朝日」はめったに見られない朝日だと思うのだが。

物語性があるのとないのとでは、価値が違うわけだ。

来年は初日の出を観るために集まってきた人々に「だるま朝日」がめったにみられないのだということを流布し、「新春開運!だるま朝日せんべい」とか「昇陽幸福!だるま朝日クッキー」とか作って売ってみようかしら、と算段してみたりする。
でも、それらを現地で売っていたら自分が「だるま朝日」を見られなくなる。それは困るな。金儲けと最高の「だるま朝日」の観察という欲のはざまで心が揺らぐ。

うんうんと悩む私の目の前のお神酒がいつの間にか半分に減っていた。

2024年1月4日。
気象衛星の赤外線の午前6時30分の画像を確認した。日の出の方向に雲が広がっている。水平線上に雲がある確率が高い。「だるま朝日」はおそらく見えないだろう。
そうは思いつつ、
(ひょっとすると、雲は衛星画像の見た目よりも薄くて太陽光が透過し「だるま朝日」が見えるかもしれない)
と、そわそわしてしまう。とりあえず行ってみようと決めて観察場所に向かった。

日本気象協会(tenki.jp)の赤外線衛星の画像

気温は7度。
風は弱く、海面は穏やかだ。
しかし予想通り、水平線上には雲が広がっている。
この日は「だるま朝日」を観察する人も、釣り客もいない。
ケーブルテレビのカメラマンも来ていない。

「今日は無理そうだな」とつぶやきながら三脚を広げ、カメラをセットする。せっかく来たのだからダメ元で待ってみることにした。

この日の日の出の時間は、午前7時16分。

時計を確認し見上げると、水平線に赤いものが見える。
朝日が昇ってきたのである!
強い太陽の光が雲を透過して、くっきりした輪郭の真っ赤な朝日がゆっくりと昇っている。

これは「最高のだるま朝日」になるかもしれない!!

思いがけず水平線上に昇ってきた朝日に戸惑いながらも、カメラの動画のスイッチを押した。
今まで観察してきた中で類を見ない美しい「だるま朝日」だ。
スマホでも撮ってみたが、私の機種では解像度がよろしくないので1枚でやめた。
目にしっかり焼き付けよう。
そして、あとで動画を確認しよう。

(きれい・・・)

2分30秒ほどの美しい「だるま朝日」に見惚れた。

(ケーブルテレビのカメラマンも来ればよかったのに)と思いながら、
「今までで見た「だるま朝日」の中で最高に美しかった!!もう、思い残すことはない。「だるま朝日」観察は引退しよう!」

そう独り言をつぶやきながら撮影した「だるま朝日」の記録を確認する。

ん?

あれ?

え?まさか・・・・

「撮れてないぃ!!!!!」
叫び声がむなしく響く。

動画撮影ボタンを押したつもりが、隣の写真撮影用のシャッターボタンを押していたようで、日が昇る前の全景写真が一枚だけ記録されていた。何度も何度も確認するも、データはその写真一枚だけ。記録されていないものはどうあがいても記録されていないのだ。

スマホで撮ったピンボケの「だるま朝日」

「前言撤回。「だるま朝日」観察は続行します!」
誰がいるわけでもないのに私は、「だるま朝日」観察の継続を宣言した。

こうして私は「だるま朝日」観察に取り憑かれたままになるのである。

(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?