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モンゴルと着物旅日記②~女子トーーク!世界の民族衣装事情~

急遽決まったモンゴル出張。5枚の着物と帯4本を抱えて極寒のモンゴルに降り立ち、モンゴル人の親友ボドロー(Bolroo)さんと10年ぶりの再会を果たした。
(前回の記事:モンゴルと着物旅日記①~突然の渡航先の変更~

彼女は、10年前にはまだ産まれていなかった娘と一緒に空港まで迎えに来てくれていた。ホテルに着いて早速スーツケースを開け、娘さんたっての希望のお土産のエビを渡したら、「私の思ってたエビと違うやんけ!小さすぎるわ」とモンゴル語で突っ込みが入る(娘ちゃんの想像していたのは、車エビで、私が持っていたのは桜エビ(笑)生ものは持って行けないのである)。そんなやり取りを見た親友が笑い転げていた。お互い変わらないことを喜びながら、会話を進める。

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「アリウカ(私のモンゴルでの名前)は、どんな会社を立ち上げたの?」

ゆっくり話をするために、彼女の家に移動し、ボーズ(モンゴルの伝統的な料理の蒸し餃子)を食べながら、私が起業した着物アクティビティのことを説明する。

日本ではここ20年ほどで急激に着物が着られなくなってしまったこと、日本人自身が着付けが出来なくなっていること、着物の価値が急落しているが、外国人にはとても関心が高いこと、などなど、今の着物を取り巻く現状を話した。

すると彼女もモンゴルの民族衣装の現状を話し始めた。モンゴルでも同じ現象が起きていて、民族衣装のデールを着る人がとても少なくなったのだ、と。

確かに、今から10年前、2010年1月にチンギスハーン国際空港に降り立った時は、民族衣装デールを着た人たちが半分くらいいて、帰国者を今か今かと待っている人たちでごった返していた。
しかし2020年1月は、様子がかなり違った。洋服を着て、スマホ片手に到着ロビーで待っているモンゴル人がほとんどで、デールを着ている人は見かけなかった。

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そして彼女は続ける。

「私の親友のブルガリア人も、同じことを嘆いているのよ。毎年、伝統的な祭りに民族衣装を着て参加しているのだけれど、参加した時が一番下っ端で、20年たった今でも一番下っ端、って言っていたわ。」
ボドローさんは、若いころにブルガリアに留学していて、ブルガリア人の友達がいる。

ヨーロッパ圏の国でもそういう現象が起きているのか!と驚いたのだけれど、よくよく考えたら、私が旅行で行ったトルコでも、ハワイでも、民族衣装を見かける機会と言えば、観光客向けのイベントで民族衣装を着て伝統的な踊りを見せるという場面でしかなかった。もっと世界を見渡してみると、イギリスやフランス、ドイツなどのヨーロッパ圏では普段着のドレスなんて着てないし、中国はみんながみんなチャイナドレスや人民服を着ているわけではない。世界中で伝統的な民族衣装は廃れていっているのである。

民族衣装に未来はないのか?

「着物を着たいと言うモンゴル人はたくさんいるだろうし、日本人でモンゴルのデールを着たいという人はいるだろうし、文化交流として、民族衣装交換会みたいなのが出来たら面白そうよね。じゃんじゃん写真撮って、SNSにアップして。そしてお互いの国で開催、みたいにしたら楽しそうだわ!ブルガリアも入れちゃう?」

ボドローさんがキラキラした目で話し出した。彼女の才能は、ちょっと違った視点からアイデアを思いつくことだ。

実現させるためにはお金が必要だけど、アリウカも私も持っていないから、さてどうするかしら。携帯電話の会社に打診して協賛してもらって、日本のお茶とモンゴルのお茶の比較をするイベントも入れるとして、お茶メーカーにも連絡してアイデアを伝えて、広告宣伝費として出してもらうことにして。あ、早く計画書書かないと。今から始めればなんとかなるけど、紙がないわ。あーノートしかないし、白い紙持ってる?持ってない?場所はどこがいいかしら?日本でも開催するとしたらどこかある?そこにもイベントを開催する準備して・・・

「ちょーっとまった!そんなに規模が大きなものだと、今日明日にはできないよ?もう少し実現可能なところから考えないと。もう、そこまでの規模になったら、もっと出来る人がやってくれるかもしれないし。我々のオリジナリティを出した方が良いんじゃない?」

ボドローさんがアイデアを膨らませすぎて暴走し始めてしまったので、私は話の途中で会話を遮った。すると、

「アリウカ!あなた会社として儲けようとしているのよね?やる気あるの?」と立ち上がったボドローさんに額をこつんと小突かれてしまった。そしてデジャブかと思われたセリフ「やる気あるの?」(笑)

お互い熱くなりすぎたところがあったので、一旦、なぜ今回モンゴルに来たのかというところに立ち返ってみた。

ボドローさんに会いに来たのは、着物を民族衣装のデールに仕立てる素材としての可能性があるかどうか、市場調査と実践を行うというところで協力してもらおうというところからであった。二人の妄想が爆走しすぎて違う方向へ進んで行きそうだった。危ない危ない(妄想は楽しいが、油断すると夢が膨らみすぎて現実から離れていってしまいそうになる)。

「着物を持ってきたから、見てみて。あなたが気に入る柄だといいけど」
と、本来の目的を思い出したところで、彼女に着物を見せる。

日本にいる時に聞き出した彼女の希望する「小さい柄(できれば花柄)で、色は青かピンク」の着物を数枚、カバンから取り出す。一つは仕付け糸が残った新品で小さな柄で全体がピンクがかった紫の小紋、もう一つは小花柄で地色が水色の同じく小紋、そして濃い青色の訪問着。

「綺麗だわ!素敵!私が着るには小さいけれど、これを解いてデールを仕立ててみることは出来そう。やってみるわ」
そう言ってボドローさんは、小紋2枚を選んだ。

「絹100%(正絹)だから生地としては遜色ないので、デールとして仕立ててみて」と、彼女に伝えた。モンゴルの民族衣装のデールも絹の生地から仕立てられる。日本の民族衣装の着物がモンゴルで生まれ変わると思うと、わくわくする。

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「アリウカ、デールのことを知るのならちょうど良い時期に来たわね。1月はお正月前だから(モンゴルの正月は旧暦で行われ、だいたい新暦の2月の新月の日がそれにあたる)、新年用のデールがお店に所せましと並んでるわよ。明日はそれを見に行きましょ。今やモンゴルは日本ブームで日本製品とか扱っているお店もたくさんできたのよ。」

妄想爆裂したり、着物でテンション上がったりと楽しい夜があっという間に過ぎていく。時計が深夜2時を回っていた。明日の民族衣装デールの市場調査に出かけるのを楽しみにして、この日は彼女の家に泊まった。
(つづく)

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👘モンゴルときもの旅日記①~突然の渡航先変更~

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👘モンゴルときもの旅日記③~民族衣装デールの今昔~
👘モンゴルときもの旅日記④~モンゴルで『月刊岩ときもの』*遊牧民のお宅で着物の着付けをやってみた(1)~
👘モンゴルときもの旅日記⑤~モンゴルで『月刊岩ときもの』*遊牧民のお宅で着物の着付けをやってみた(2)~
👘モンゴルときもの旅日記⑥~モンゴルで『月刊岩ときもの』*遊牧民のお宅で着物の着付けをやってみた(3)~
👘モンゴルときもの旅日記⑦~モンゴルで『月刊 岩ときもの』*遊牧民のお宅で着物の着付けをやってみた(4)~

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