ベラルーシから福島へ。「ふるさと」への思い
福島県川俣町の地域おこし協力隊として、「食」や「農業」の分野で活動するスタルジンスカヤ・ナスタッシャさん。東ヨーロッパにあるベラルーシ出身で、大学時代に福島へ留学したことをきっかけに、福島で活動する道を選びました。福島を「ふるさと」のような場所と話すナスタッシャさん。なぜ川俣町で活動しているのか、その想いに迫りました。
福島とつながったきっかけは?
ベラルーシの大学では国際関係論や日本語を学んでいました。そして東日本大震災後、福島県内の多様な団体がベラルーシの方に訪れてきていました。ベラルーシも福島も、原子力発電所の事故による原子力災害を経験した地域という共通点があったからです。ベラルーシは1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故による原子力災害で、甚大な被害を受けました。チェルノブイリ原子力発電所があるのはウクライナですが、風向きの関係で、最も放射線で汚染されたのがベラルーシと言われています。
そして、日本とベラルーシの交流の1つの成果は、福島大学とベラルーシ国立大学の間にできた交換留学の制度です。3年生の時に福島大学に一年交換留学しました。福島とベラルーシが同じように原子力災害で被災しており、自分自身も原子力発電所の事故や災害からの復興について学びたいと思ったからです。
福島大学では農業経済学を学び、福島のそれぞれの地域でフィールドワークに参加しました。そこで農家の方々に会い、その心について学び、農業の大切さを感じました。福島の人たちの温かさにも触れました。周りの人への思いやりがあり、本当に人が魅力だなと感じています。
地域おこし協力隊になったきっかけは?
1年間の交換留学の後は一度ベラルーシに戻り、ベラルーシのIT会社で働いていました。ITも楽しかったのですが、もっと身近にある人間らしい仕事である農業に関連する仕事をしたいと感じました。福島でまた勉強したいと思い、大学院は福島大学の大学院に通うことにし、再び福島を訪れました。大学院2年生の時には、勉強しながら原子力災害の影響を受けた福島の12市町村と首都圏の起業希望者をつなぐ仕事を経験しました。各市町村を訪問しながら地域の方の声を聞き、地域の課題について調べていると、「自分も何かしたい」という考えに変わっていきました。
その中で川俣町の「地域おこし協力隊」の募集があり、その体験ツアーに応募しました。その時に町の方々と話していると、町役場の方も企業の方も心の奥底から町の復興を願っていて、5年先、10年先にはこの街を素敵な場所にしたいという思いを持たれていました。そんな川俣町の人との出会いを受けて、川俣町の地域おこし協力隊になることを決めました。
川俣町で挑戦したいことは?
町で取り組みたいことの一つが、飲食店の開業です。川俣町にはスーパーやコンビニ、ホームセンターはあるのですが、飲食店が少ないと感じています。食堂やラーメン店などはありますが、カフェなどコーヒーが飲めるおしゃれなお店があればいいと感じています。
飲食店を開いて、町の農作物を使った料理を提供したいと考えています。私がベジタリアンということもあり、野菜や穀物、豆、果物などを使った料理を作りたいと考えています。川俣町は福島市から車で30分ほどの距離にあり福島市からは近いので、町の外から来た人が楽しめるような場所にしたいと考えています。考えているのは、売り物にならず、余ってしまった野菜をベラルーシ料理などの外国料理にして、面白く見せて出していきたいなと考えています。
川俣町のいいところ・大変なところは?
川俣町は交通的には利点があります。県庁所在地の福島市から海沿いの浜通りに向かう時には川俣町を通ります。阿武隈高地の入り口、浜通りへの入口として物流や交流の拠点になる場所だと考えています。
また、私が外国人だから応援してくれるのかもしれませんが、みなさん優しくしてくださいます。みなさん川俣町のことが好きで、地域に愛着を持っている方が多いと感じています。
大変なところは、移住する前は交通の便の悪さを感じていました。とはいえ、住んでみるとドラッグストアやコンビニ、スーパー、ホームセンターなどはそろっています。先ほども申し上げましたが、カフェなどコーヒーが飲めるおしゃれなお店があればいいと感じています。だからこそ、自分で飲食店を開きたいと考えています。
移住を検討されている方に一言
ぜひ町に通ってみることをお勧めします。2,3回だけ訪れて移住したらもしかしたら後悔することもあるかもしれません。週末に来て友人を作ってみたり、町の人と交流してみたりするとよいと思います。
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