30年

ご存知の方はご存知でしょうし、ご存知でない方はご存知でないと思うのですが、
12月24日は親友の命日です。

ちょっと待って!ちょっと待って!
戻るボタン押さないで。頑張って書くから。

30年前、1994年12月24日。
あと1ヶ月もしないうちに阪神大震災が起こることもつゆ知らぬ、
僕と彼が9歳の時の話です。

悲しい話、感動話じゃなくてね。
2024年、39歳のおっさんの話です。
his storyではなく、my storyなのです。
そうですよね、39歳のおっさんの話なのだから。ね。そっか。

「ちょっと待って!」って言ったけど、やっぱり待たなくていいです。
ブラウザバックしていいです。

それでも、今時間あるからお前の自分語りに付き合ってもかまわんよ、という方に。

彼は(他の友人がそうであるように)、僕の数多くいる同級生の1人です。

1年生の入学式を思い出してください。
その中に、
例えば日本語話者ではない外国人だったとして、
例えばテレビドラマにひっぱひだこの超有名子役だったとして、
あるいは、同じクラスになったのに一度も登校しない子だったとして、
もしそんな子が同級生にいて、その子と仲良くなっていたとして、
たしかに珍しい存在だから最初に仲良くなるきっかけこそ特殊かもしれないけれど、
一緒に過ごす時間が増えるにつれ、小学生の僕にとってそんなことは薄れていくんです。あくまで、「同級生」としてなんです。


たまたま、同じ年に生まれて同じ地域に住んでただけ、ということ。
同じ学校に通い、同じ教室にいた、というだけのこと。

そんな超当たり前なことなのに、彼について話をするときに、
「彼には重い障害があって」
「言葉で会話することができなくて」
と、枕詞を振ることが僕は歯痒いのです。

割と大人になるまで、彼のような子が地域の小学校の同級生にいたってことはものすごく特殊な経験だった、なんて知りませんでした。

当然僕は自分の小学校生活しか知らないし、それが当たり前だったからね。 

でも大人になるにつれ、そういう経験がとても貴重だったと知るようになります。
そして大人になるにつれ、「いや、それは貴重なままじゃあかんやろ。当たり前にならなあかんもんやろ。」と、思うようになります。

「その経験があったからこそ、僕はこの道を志しました」
なんて言えたらカッコもつくのですが、実際のところ、僕は教育にしても障害支援にしても、流れついた先がそこだった、というだけなのです。

20歳までは車屋さんになるつもりでいたけれど、その能力が自分には無いんだな、向いていないんだな、と気づいて、そこからあっちこっちぶつかりながら流れ着いた先が今なのです。

その先でようやく、自分が小学生の時に経験したこと、身につけてもらったことは、どうやら世間的には珍しいんだな、と気づいたわけだから、順番が逆なんですね。
志なんてものは、もともと僕にはないんです。

ただ、それが珍しいと気づいた以上は、ね。気になるわけです。気持ち悪いわけです。

僕には高尚な志はないけれど、僕の中にいる9歳の僕は、「え?まだそんなん言ってるの?」「そんなんとっくに当たり前やん」って、口を尖らせ鼻を鳴らしているわけです。

部屋の時計がいつのまにズレてたり、壁にかけてる写真が傾いてたり、気になるでしょ。
時計や写真なら、気になった人がヒョイと元通りにすればいいんだけども、ね。
中にはそのままでも平気な人もいるでしょう。誰かがそのうち直してくれるのをただ待ってることも、ある。そこに誰が偉くて、誰がダメだとかは無いんやと思います。

何が正しいとか、何が基準だとか、時計や写真ならあるんだけども、
世の中の大半はそうではないようで、人によって正しさや基準みたいなものはあってないようなもので。折り合いつけて作っていくしかないわけです。
最初から当たり前なことなんてないわけで、その時々、人々、環境、世相…で変化していきます。
ズレた時計、歪んだ写真が当たり前になっていたり。
時計や写真ならいいんですよ、こっちが気持ち悪いだけだから。時計や写真を「直せば」いいんだから。
 
でも、お互いに人だから。
障害者である前に、外国人である前に、LGBTである前に、親である前に、子である前に、健常者である前に、お互い1人の人だから。

30年も経てば教育、科学、医療、福祉、そして社会、他にもいろんなありとあらゆることが、大きく変化してます。

だけど、僕を含む同級生たちと過ごした小学校生活、つまり同じ地域で暮らし、育っている同級生の中に重度障害児がいること、が、いまだに珍しいケースとして扱われています。学校だけでなくて、あらゆる場面で。
僕はそこに、ズレた時計のような、歪んで掛けられた写真のような、違和感、気持ち悪さ、憤りを感じるんです。

僕の中の9歳のかわちゃん、記憶に残ってる初登場は6年生の時だったと思います。人権学習だったんだろうな、何か作文を書く時に、
「僕な、"障害者"って言葉がなんかちゃうねん。わざわざそれを言わんでええような気がするねん。でも、"障害者"って言葉でしか言えへんねんけどな。ずっと思っててん。なんかちゃうねんよな。」
と、担任に言った記憶があります。
"障害者"という言葉を使うことで、境界というか、あっちとこっちが出来てしまうような。
そういう、違和感、矛盾、気持ち悪さ。そして埋められない境界線に対する憤り。
 
そこからことあるごとに、
「その前におんなじ人と人、仲間やんか」「そんなん当たり前やん」と、9歳のかわちゃんは今も口を尖らせ鼻を鳴らしているのです。
僕の中にいる9歳のかわちゃん、なかなか納得してくれないのです。


いいなと思ったら応援しよう!