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ファン・ゴッホ幻の絵の復元

ファン・ゴッホがアルルに着いて1ヶ月後くらいに描いた絵の中に、絵の断片だと思われる絵がある。

断片と言っても32.5㎝×23㎝なので大判浮世絵に近い大きさはある。
だから断片とも言えないのだが、見た感じでは断片であるし、それにこの絵には全体を描いたスケッチが、1888年3月18日(日)のベルナール宛の手紙に存在するのだ。

そしてこのベルナール宛の手紙には、このスケッチの下に手紙が書かれており、その初めには「 Mon cher Bernard, ayant promis de t’écrire je veux commencer par te dire que le pays me parait aussi beau que le Japon pour la limpidité de l’atmosphère et les effets de couleur gaie. Les eaux font des taches d’un bel éméraude et d’un riche bleu dans les paysages ainsi que nous le voyons dans les crepons. Des couchers de soleil orangé pâle faisant paraître bleu les terrains – des soleils jaunes splendides.」と記されている。
翻訳すると「親愛なるベルナール、あなたに手紙を書くと約束したので、まずこの国が大気の清冽さと陽気な色彩の効果で日本と同じくらい美しいと思えることを伝えたい。クレポンに見られるように、水は美しいエメラルド色や豊かな青色の斑点を風景の中に作っている。淡いオレンジ色の夕日が大地を青く染める。」
つまり、この絵はクレポン(縮緬浮世絵)を意識している絵であり、水がエメラルドで青色の斑点が混在している。夕日は淡いオレンジ、大地は青くなっている景色と言える。
断片の絵を見ると水以外の色彩は手紙の通りではない。しかし、この手紙のスケッチには色指定がしてある。
それによると道路は薔薇色、太陽は黄色、橋のブロックはライラック、女性の頭はオレンジまでは分かるが、あとはよく分からない。
ただ、女性の頭がオレンジなのは絵の断片と同じなので、この断片はやはりベルナールに宛てた手紙のスケッチの油彩画だと思われる。
ところが断片の絵では、道の色が黄土色である。
スケッチの色指定のバラ色ではない。
フランスでバラ色に黄土色があるのか調べたが、フランスでバラ色と言えばやはりピンク色のようだ。
この断片の絵とスケッチを私が知ったときに、この絵の再現ができるのではないかと考えた。
ところが同じことを考える人がいるもので、2017年にオランダのファン・ゴッホ美術館と国際共同プロジェクトで「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が、北海道立近代美術館であり、その時にこの断片とスケッチや手紙を統合して作った絵が飾られたらしいのだ。
この絵は、「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」の総合監修者を務める圀府寺司氏(大阪大学・教授)をリーダーとし、国外の研究者の助言も受けながら、映画「ゴッホ~最期の手紙~」の制作に日本人として唯一参加した、画家・古賀陽子氏が復元を担当したらしい。
何か日本のファン・ゴッホの研究家と画家が一緒になって制作したのだから完璧なものだろうと権威主義者の者なら思ってしまう。
その絵をここに載せる。

この絵を見てすばらしい。まさしくファン・ゴッホだ、と思うのだろうか?
確かに色はスケッチの色指定で描いている。
そして制作の説明では下記のごとく書いてある。

~模写編~
 まず行なったのは、現存する部分を模写し、徹底的にファン・ゴッホのアプローチを分析することでした。現場では、構図のみを描いたキャンバスの隣に、≪水夫と恋人≫の実物を並べ、古賀さんが文献をもとに独自で自作した絵具を使って模写を進めました。ファン・ゴッホが一筆で描いたことで偶然生まれたかすれたような線も、細かい筆で緻密に描き込んで再現、しかも一筆書きで描いたように表現しました。

絵の具を自作までしたようだ。


この自作の絵の具を比べても大した違いはないのでは? とファン・ゴッホの絵を模写したことのない人は思いそうだが、模写したことがある私はなるほどと思った。
今の市販の絵の具はなめらかなので、どうやってもファン・ゴッホのタッチが描けない。だから私は何とかごまかして描いたのだが、絵の具を自作すれば良いのかと感心した。
やはり私のような素人とは違いプロは凄い。
ただ、出来上がった絵はあきらかにファン・ゴッホの絵のタッチではない。
ファン・ゴッホのタッチに似せようとした努力は見られるが、技量の優れたアカデミー絵画の上手な画家が描いた絵に見える。「「ゴッホ~最期の手紙~」の制作に日本人として唯一参加した、画家」なのだろうが、ファン・ゴッホのタッチには見えない。
そして同じように、古賀氏以外の他の人のファン・ゴッホの絵の模写も、ほとんどがこの絵と同じようなのが多くて、すっきりした絵が多い。
ファン・ゴッホのオリジナルの絵はすっきりしていないから、絵がそっくりでもなんか違和感が出てしまう。
私と同じような感想を持った人がブログにそのことを書いていた。
Alex DPさんの幻の作品の復元|水夫と恋人 ラングロワの橋|ゴッホ展(巡りゆく日本の夢)という題のブログだ。
Alex DPさんは「構図から推測すると現存する作品として《ラングロワの橋》に関する記述にも見えますが、この作品には道を歩く二組のカップルは描かれていません。」と記して下の絵を載せた。

アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と運河沿いの道)

これは私も、断片とスケッチを使って絵を再現するのなら、この絵を参考にするだろうと考えた。
そして、古賀陽子氏も同じことを考えたと思うので、再現絵はスケッチとは違い左の道まで入れてある。
この左の道は橋の手前で川沿いの道と合流しているが、1本の道の真ん中に雑草が生えて2本の道のようにしているようにも見える。
古賀陽子氏の絵は合流までは描いていないが1本の道を雑草が区切っているようには見える。
はたしてこの道は1本なのか2本なのか、ファン・ゴッホの「アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と運河沿いの道)」ではよく分からない。
はっきりしないのだから、私ならスケッチの絵の範囲までしか描かないのだが。

なぜファン・ゴッホは絵を切り裂いたのか?

道の色が黄土色なのかバラ色なのか? そして、なぜファン・ゴッホはこの絵を切り裂き二人の男女だけを残したのか?
もし、ファン・ゴッホが完成品を切り裂いたのなら、その絵を気に入らなかったということだろう。
ということは、この絵がその後の絵と大きく違うところがあるのかもしれない。
ファン・ゴッホの筆遣いを研究している人なら、この切れ端の筆遣いがちょっとおかしいと気づくはずである。
筆遣いが雑なのである。
ファン・ゴッホの筆遣いは雑なのではと思われがちだが、雑でありプラス緻密に描いている絵ばかりで、この絵のように雑に描いているだけのはパリ時代のコルモンの画塾で描いた石膏像の絵くらいしか私には思い当たらない。それでも石膏像の方がましだが。
画塾ではすごい勢いで描いていたというから、それこそスケッチ的に描いていたから雑でも良かったのだろう。

Alex DPさんのブログの続きは「また、手紙のスケッチにあるような恋人たちが描かれている作品は無く、また、手紙の文とスケッチに記されている色彩は、現存する《ラングロワの橋》のシリーズとは異なる、大胆なものになっています。」と記されて下の絵が載せてある。

これも、Alex DPさんの記されている通りであるし、一般には《ラングロワの橋》と言えば上のような色彩の鮮やかな絵を思い浮かべると思う。
つまり逆に考えると、上のような絵をファン・ゴッホが描いていれば絵を切り裂くこともなかったのではないだろうか。
そしてブログの締めくくりとして「空の色が、《種まく人》や《サント=マリーの道》でも使われた黄色である他に、パープルに彩色された橋台やエメラルド・グリーンの川の色等、手紙のスケッチに書かれている内容を反映しています。しかし、個人的な感想を言わせてもらえば、筆のタッチや塗りつぶした部分のマチエール等の変化に乏しく、ゴッホの激しい内面を表し切れていないようにも思えるし、一方でゴッホの自然や恋人たちに向ける優しい一面を示しているかというとそうでもなく、正直なところゴッホらしくないように感じてしまいました。また、《水夫と恋人》という作品は、小型ではあるものの、このサイズを手紙のスケッチに納めて全体を描くとなると、大型の作品になり、上に挙げた《アルル・ラングロワの橋》よりかなり大きなサイズになって、当時の他の作品サイズとの不均衡も、若干不自然に感じる一因かもしれません。しかし、逆に、我々の知っているゴッホらしくないところが斬新であり、これが画家による新たな表現への探求だったと言えるのかもしれません。失敗作として一部を残して画家自身が破棄してしまったのではないか等、様々な憶測を呼び起こす復元です。確か、まだ現時点での復元作品であるような記載があったと記憶しているので、今後、手を加えていくのかもしれません。」と記してある。
最後の文は画家に対してのフォローだろうが、批判的であるのは間違いないし、その批判は当たっていると私も思う。
私も同じような感想ではあったが、Alex DPさんのブログが良く書けていたので流用させてもらった。

さて、筆遣いがファン・ゴッホとは違うのは素人が見てもわかるのだが、問題は色彩である。
この復元の絵はスケッチの色指定を再現しているので間違ってはいないのだろうが、断片の絵と比べると道の色が明らかに違う。
これはなぜか考えると、スケッチの色指定をしたときは現場で《ラングロワの橋》の情景を見たときの色彩だったと思う(夕日はこの位置には無いので、そこは違う角度で見た情景と合わせたのだろうが)。
夕日を正面に描くと景色は逆光になり、道をバラ色、橋のブロックを紫に書くのは納得する。
しかし、ファン・ゴッホの3か月後である6月の3枚の夕日の絵を見ると、逆光のはずなのに順光の色彩で描いているのもあるのだ。
「種まく人」は白を多くして逆光にしたのかもしれないが、順光に見えてしまう。

種まく人

とは言っても、あとの2枚は逆光でもなく順光でもなくただ暗くした絵である。

洗濯する女性のいる運河
日没:アルル近くの麦畑

8月には大地を紫にした夕日の絵も出てくる。

石炭はしけ☝☟


おそらくこの紫がスケッチの紫に似ているのかもしれないが、でもそれは道ではなく橋のブロックなので光が当たらない箇所である。太陽が沈んでいないので道はまだ紫にはならずバラ色にしたのだろう。
それに8月にはピンクの道(大地)も描いている。

貨物列車

もう1枚の有名な「種まく人」は大地が紫に青だしピンクも混ざっている。

種まく人

これ等の絵を見る限り、ファン・ゴッホがバラ色と描いてもバラ色一色ではない可能性がある。
貨物列車とか種まく人、赤い葡萄畑などの大地だと色指定がバラ色だとしても模写は描きやすい。
しかし、この絵を描いたのは3月なので、この時期の絵ではこのような筆跡をしたとは思えない。
実際、断片の絵の道の色は黄土色で無造作に塗っている。
もしかしたら、あとの手紙でこの絵のことが書いてあるか調べたら少しだが書いてあった。
その手紙はベルナールに宛てた日(1888年3月21日〈水〉または22日〈木〉)から3~4日後のテオに宛てた手紙である。そこには「Ces derniers jours vent & pluie, j’ai travaillé chez moi à l’étude dont j’ai fait un croquis dans la lettre de Bernard.ここ数日、風と雨の中、私は家でベルナールの手紙にスケッチした習作に取り組んでいた。」と書いてあった。
ベルナールに宛てたのは1888年3月18日(日)なので、その日は晴れていたが翌日から風と雨がで外に出られなくなり、家の中で絵を描いていたと思われる。
そして初めはスケッチのような色指定で描いていたが、出来上がりが不満でその上から絵の具を塗ったのかもしれない。
断片を丁寧に見ると下地がピンクでその上に黄土色を塗ったように見える。

赤丸がピンクに見える

もし私の見立て通りなら、やはり初めは道をピンク色にしたのだろう。
そして、出来上がった絵が満足ではなかったのだろう。
それは空の黄色か、橋の紫なのか?
今となっては確かめることはできないので、絵の出来が満足では無かったため、絵を切り裂いてしまったと考えるしかない。
切り取った断片の絵の道を黄土色に塗ったのは、切り取ったため、その景色を夕景にする必要が無いので、道を黄土色を塗り普通の時間帯の絵にしたのだろう。
この絵に関してはベルナールにスケッチまで入れて説明したので、こんな習作は見せられないと二人の人物のところだけ切り抜いたのではないだろうか。
1888年5月7日(月曜日)にフィンセント(ファン・ゴッホ)からテオに宛てた手紙には下記のように書いてあった。
書簡484
             606
白と赤と緑の茅屋とわきに糸杉が1本ある風景画があるが。そのデッサンはきみのところにいっているもので、この絵は全部うちで仕上げたものだ。もしきみが望めば、日本の版画のようなこんな小さな絵をどのデッサンからでも作れるということが。これで解ってもらえよう。
(French)
il y a un petit paysage avec une masure blancherouge verte et un cyprès à côté – cela tu en asle dessin et je l’ai peint chez moi entièrement.
Cela te prouverait que de tous cesdessins je pourrais, si cela t’allait, faire
de ces petits tableaux comme des crepons.
おそらくこの手紙に出てくる絵は「柳のある野原の小道」だと思う。この絵のサイズは31.5 x 38.5 cmなので大きなクレポン位のサイズである。

柳のある野原の小道

断片の絵のサイズは32.5㎝×23㎝なので断片の絵の方がクレポンとか大判浮世絵のサイズに近いかもしれない。
つまり、この手紙の通り、クレポンのサイズを意識して切り抜いた可能性があり、断片の絵を丁寧に見ると、人物の男は帽子が黄、上着が青、ズボンが黄と青、女は頭がオレンジ、上掛けが濃いオレンジと薄いオレンジ、スカートが赤に黒の線で、原色の色を使い、平面で絵を構成している。
つまりクレポンにそっくりな作りになっていると言える。
この断片の絵ならクレポンの絵を目指す同志のベルマールが見ても、貶しはしないだろうとファン・ゴッホは思ったのではないだろうか。
おそらくスケッチ通りの色彩だとクレポンのような感じにはならなかったのだと推測する。

さて、私もこの幻の絵を描いてみた。

私はなるべくスケッチの通り描こうとしたが、古賀氏は太陽の位置とか、左の道とか、スケッチとは変えている。
プロだから、オリジナルも入れたのだろう。
色彩的には私のも古賀氏のも似た感じになってしまったが、おそらく実物を見たら色彩はかなり違うと思う。
写真を撮ったり、画像をコピーしたりしても、オリジナルの色彩はなかなか出ない。
おそらく、これより1か月後ならファン・ゴッホの筆跡がかなり確立されてくるので、模写はやりやすいのだが、この時だけは初心者のような筆遣いをしている。
だから、この絵に関しては、プロは綺麗に描きすぎてしまうので、ファン・ゴッホの絵のようにはならないと思う。





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