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ふるさとへの絵手紙 角兵衛さん
角兵衛さん(1)
永谷、若狭の国の最端、
京都方面から来れば都の外れであるが若狭の始まりである。
昔しの殿様あたりの仕業だろうと思うが、不便なところにはちがいが無い。
其んな山合いの村にも歴史があり、文化もある。
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其の一角に角兵衛さんが住んで居られた。
住んで居られたと書くと過去形になるが、現実にはそうである。
お隣り村の老富村あたりも同じであろう、
過疎化して人口減となり、見るも痛ましくなっている。
永谷村も三、四軒あって其の真中あたりにあった。
南端の方たちの記憶は無い。
角兵衛さん、確か渡辺と言ったと思う。
渡辺と言う姓であるなれば、間違い無く川上村の続きである。
つづく
H18.6.1 善琢
![](https://assets.st-note.com/img/1724131968254-4pjT20yJta.jpg)
角兵衛さん(2)
天下泰平、天真爛漫、誰憚る事なく悠々と放つ。
其れが両県(府)に別れて流れ出すのである。
雨も同じに左右になかよく旅立つのである。
由良川と佐分利川である。
佐分利川は四里程の流れであるが、由良川は長い。
渓谷あり、深水あり、蛇がたまご飲んだような所あり、浅瀬もある。
曲りくねっていて遊々すれば、同じ若狭湾に出て「今日は」となる。
永谷村、僕の知るところでは三、四軒あって二軒目が角兵衛であったように思う。
細い馬車道位いの道で、淋しい所であった。
途中“馬こかし”と言う断崖があって、走って通りすぎた。
振り返って見直すと、岩がつき出ていた。
雪山で言うと雪庇と言うから、岩が出ているのだから岩屁だろう。
見事な絶壁であった。
ひよどり越えより厳しいから“馬こかし”と言う・・・。
つづく
H18.6.2 善琢
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角兵衛さん(3)
川上で有り乍ら実に不便である。
本音ではなかろうが、住めば都である。
村役場に来るのに歩いて来て、歩いて帰る。
習慣であるので苦にはならなかったが雪でも降ったら大変、
泊り込みの一日がかりで用を足すことになった。
役場、其の他の用事を済まして帰る。
子供達がおとっつあんの帰りを首を長くして待つ、其れにこたえなければならぬ。
土産を下げて帰るのが常であったが、其れもそうだが
自分の体力も養わねば参ってしまう。
故に「マゴザ」に寄って饅頭を子供たちに買い、しとつほうばって歩く。
饅頭一ヶでは物足らぬ。
安川迄来た、のども渇いて来た。
目についたのがカフェ「サブ」である・・・
つづく
H18.6.3 善琢
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角兵衛さん(4)
カフェ「サブ」と言っても内容は知らない。
割烹アンド休憩だろう、が小学校くらいでは分からない。
「綺麗な姉ちゃんがお酒を飲ますんだって!」
「うはあ、どんなねえちゃんだろう」
其んな事を話し乍ら、ジョーリ(?)をすりながら話しをしたものである。
饅頭を喰い乍ら此処まで来た、やはり気になる、
覗いてみようと、誘惑に負ける。
暖簾を潜る、
「いらっしゃい、暫くね・・・」
初めて来たのに暫くとはなかなか上手だ。
其の時代に佐分利あたりで此んな言葉で迎えなかったと思う。
どなえ言わんしたかなあ・・・面白い。
「よおござんしたのお、早よ座らんせ。」
「今日はまんだ早えでだあれもおらんさかえ・・・」
つづく
H18.6.4 善琢
![](https://assets.st-note.com/img/1724132776714-41I1TbN1vE.jpg)
角兵衛さん(5)
「・・・ゆっくりしてかんせいのぉ」
「おおきんおおきん、まあ一杯くだんせいのぉ」
「燗はどうや」
「燗はいらん」
「そんならほれ・・・・」
そんな話しをしているうちにまたもう一杯となった。
「昼間の酒もうまえのぉ、ようまわって来るは・・・」
「まあええわえの、酔うたら上(座敷)にあがって寝ころばんせえのぉ」
始まった、こりゃ誘惑に負けそうだぞ・・・
「そなえもしとれんで今日はこれで帰るから、おおきんのぉ」
「そんなら又来てくだんせよ」とこうなる。
男は酒と女には弱い。
角兵衛さんはそんな事は無かったと思うが
立ち上って歩き出した、すたこらすたこら・・・
つづく
H18.6.5 善琢
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あゝ思い出した、いんで食う物が無え・・・
何か買って帰ってやらんとあかん。
「サンダエさん」に寄る事にした。
花かつお、缶詰、麩、油揚げ等を買って、又すたこら、大変だ。
永谷の我が家に向う。
新鞍が見えて来た。
酒飲みの心理は分から無い、飲む人には充分わかるが、
のまない人には分からない。
学校の前まで来たら足が止まった。
「ヤスケさん」である、酒の匂いである。
足の向きが変った・・・
結局四合瓶を買って出て来た。
足も軽くなった、急がねばと足を早めたが
荷物の重たい事、とこうなるのであるが、多少誇張である。
角兵衛さんには確か戦死者があったと思う、
其のような記憶がある。
息子さんであるのか兄弟であるのか分からない。
女のきょうだいはあった、近くに嫁がれている。
何と言っても永谷は冬が難儀であった。
H18.6.6 善琢
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以下、コメント
60年近くも昔、上林へ炭焼きに精出した頃、
―永谷坂―毎日炭俵や縄を自転車に積んで押して越したものである。
今のように舗装もガードレールもなく、土道だつた。
先日自転車で越してみた。
ーーゴミの多いのに呆れたーー
ー高度成長から、現在ー
あふれる物質文明に人の心は変わつていく
この国のありようを見た思いで、不安が募つた
投稿: じゆん | 2010年3月 2日 (火) 09:34
自転車であの峠越え、お元気そうで何よりです。
車で快適に峠越えなら気付かないことでも、徒歩や自転車でふぅふぅ言いながらだと嫌でも目に入ってしまいます。
永谷坂、昨年はかなり大掛かりに粗大ゴミや空き缶などを回収したのですが・・・
ちょっとがっかりです。
投稿: 管理人 | 2010年3月 2日 (火) 12:20
何時読んでも味わい深いですね。小さな葉書一枚の中に不思議なワールドがあるようです…
投稿: ぶろぐ坊 | 2010年3月 3日 (水) 22:46
いつもコメントありがとうございます。
このブログをなんとか続けていけるのも、善琢さんの絵手紙によるところが大きいです。
現在とはまるで違う、当時の暮らしぶりが描かれた絵手紙は、詳細に設定された架空の村を舞台にした物語のようにも思えます。
咬んだマムシの皮をはぎながら庭先で絶命されたお爺さんの話、「茶飲みの九助」といった、屋号とセットになった二つ名が各家についていたこと、戦時中、塩が欠乏したために高浜まで母子で海水を汲みにいった話など、スキャンしながらついつい読んでしまうので、作業があんまり捗りません・・・。
投稿: 管理人 | 2010年3月 4日 (木) 17:56