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子生へ向かう二つの道

(ふるさと探訪 第三回 三谷銀治氏:川上の坂道より抜粋)

上 坂(かみざか)

藤原久左衛門の上、尤道(もとど)の所から鉱生谷川沿いに昔の石積み砂防の所へ行き、弥太夫山の裾の地蔵さんの所を通り、坂の谷、善左山(昔は田があった)から谷の上側を九十九折りに登って峠へ、子生山を下って山裾で下坂と合流、少し下ると、にたんば(荷担場)にきれいな水が出ており喉を潤すことが出来た。
子生村へ出る手前に伝助の水車小屋があり、すぐに地蔵小屋があり、休むことも出来た。
子生の村を抜け、焼き場を左にみるようになると高浜はすぐそこ、子生川の水で薗部や横町の女の人達の洗濯をする洗い場があり、高浜へ来たという実感が湧いた。

峠のお地蔵様

下 坂(しもざか)

旧川上分校(今の川上公民館)の下、九良右工門山と弥次右工門の杉林の境から、九良右工門の山裾を九十九折りに登り、途中賽の神の所を通り、福谷山との境を通って上方の桜谷の尾に至ってから山腹を子生側に下り、坂尻の地蔵さんの所で上坂と合流した。
上坂は歩いて川上から高浜まで片道約二時間、下坂はそれより少し長かったようである。

下坂の登り口<MAP:G-4> 旧来の道は近年設けられたこの作業道の少し下にあります
この登り口、私が子供のころは丸太の一本橋でしか辿り着けない場所でした
深く掘り込まれた道です
首なしのお地蔵さまと新しいお地蔵さま 古い台座には「文化二 乙丑○○ 源右エ門 右門 久右エ門と刻まれています(文化2年>1805年)

元記事の投稿日時 2009年2月 6日 (金) 12:59