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私がフードスタイリスト になるまで


はじめまして。フードスタイリスト の河合真由子です。

企業のカタログや広告などの撮影やレシピ開発をなりわいとしています。フードスタイリスト として独立してちょうど8年の節目の年に、これまで自分がやってきたことを記録に留め、後進のお役にたちたいとおもうようになりました。
このマガジンでは2011年に縁もゆかりもない東京にやってきてから、フードスタイリスト として独立するまでのリアルなストーリーをお届けしたいと思っています。
このマガジンでは2011年に縁もゆかりもない東京にやってきてから、フードスタイリスト として独立するまでのリアルなストーリーをお届けしたいと思っています。

2011年、上海からスーツケース4つとともにたどり着いた東京


2011年9月、6年半の中国生活にくぎりをつけ、生まれて初めて、東京に住むことにしました。それまでも、東京には年に1〜2回ほど出張で訪れることはありましたが、住むのは全くのはじめて。東京の電車=山手線というイメージしかなかった私は、電車にのるのも一苦労。はじめてSUICAを手にした日は、嬉しくてずっと眺めていました。(そもそも、電車にのること自体が長い海外生活の中であまりなかったのデス。)

2009年、フードコーディネータースクールの門を叩く

東京にきた理由はただ一つ、フードコーディネータースクールに通うことでした。そもそも、28歳のときに自ら志願して日本を飛び出したわたしは、2度と日本に住むことはないかも・・・とおもい、一切の財産を処分して海外に飛び立ちました。その後、いくつかの偶然が重なり、2009年に日本でフードコーディネータースクールのお試しレッスンを受けました。その時の衝撃が忘れられず、海外での生活と仕事に区切りをつけて日本に本帰国しました。

将来フードスタイリスト を目指す人たちへ。

私が食の仕事を目指した時、実は全くの業界未経験でした。私がそれまでやってきた仕事の領域とは違う、異業種からの転換でしたので、全くのツテもなければ、恥ずかしながら技術も知識も至らず、そして、うまれてはじめて住む東京に、当時いた知り合いはたったの2人でした。そんな私ですが、今はフードスタイリスト として大好きな場所で大好きな人たちと大好きなことを仕事にしています。そして、たまに聞かれますが、これ一本で仕事をしています。


私自身がたどってきた道、やってきたこと、はたまたどんなことを考えながらこの仕事をやってきたのかということが、まだ見ぬ誰かの夢のお手伝いになるのでは?とおもっています。
これから、毎週1つずつ記事をアップしていく予定ですので楽しみにしていくてださい。


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河合真由子|食マーケティングコンサルタント&社会人院生
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