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なぜ家庭料理は家庭で受け継がれなかったのか?

フードコンサルタントの河合真由子です。
料理の中でも、最も私達の身近なものといえるのが家庭料理。
私は個人的にも家庭料理というジャンルにとても興味を持っています。
今日はその家庭料理がなぜ家庭で受け継がれなかったのか?について社会学的観点から考察していきたいと思います。


家庭料理とは何をさすのか?

家庭料理とは、一般的にはおふくろの味に代表される素朴な料理のこと。家庭内でつくられる、和食をはじめとし、洋食や中華などもこれに含まれる。
さらにいえば、地域色の強い郷土料理などもこれに含まれる。

家庭内で調理し、家族で食卓を囲む際に食べられているものというのが一般的な理解です。

戦後、急速に食の西洋化が進んだことで、カツレツや、ナポリタン、焼きそばなど、いわゆる和食にはカテゴリーされないが、庶民の味として慣れ親しんだものも多く存在します。また、味付けは、その家ならではのオリジナリティがあるといわれています。そこには、当然、その場所(地域)の風土に即した味付けが存在するのも事実です。

なぜ家庭料理を家の外で習うのか?

料理を習うとき、大きく分けて3つ目的があると考えます。1つは、職業として食を目指すため技術力の向上や基礎的な知識を身につけるため。もう1つは、個人の趣味嗜好として料理に興味があり知的好奇心の対象として習いに行くもの。そして最後は、日常的に料理をしなければならない環境にあるが、技術力や知識が不足しており、それを補うために習いに行くというもの。結婚して家庭に入ったのに、料理が苦手で何をつくったらいいかわからない・・・という人などが一番最後の目的に入ります。
このお悩み解決型の料理教室は、有名なところでいえばABC cooking studioが挙げられます。ABC cooking studioは、入会のハードルが低く、料理や料理を習うことに興味があれば手軽に始められる料理教室です。
中でもクッキングコースの基礎クラスのカリキュラムでは、ハンバーグや、鯵フライ、生姜焼きなど、いわゆるThe定番といわれる家庭料理メニューが並んでいます。

筆者は、幼少の頃から日常的に家庭で夕飯の準備のお手伝いをしてきました。そのせい、というのもありますが、これらのいわゆる定番の家庭料理については、あえて習いに行かなくてもなんとなく感覚で作れてしまいます。逆に、少し嫌味に聞こえてしまうかもしれませんが、こうやって家庭料理を習いに行くのは、家庭で食事の支度のお手伝いをしてこなかったのかな?という素朴な疑問すらうまれます。
そもそも家庭料理というのは、<その家庭の味>であるはずなのに、なぜ、その味をわざわざ外に習いにいくのか?その矛盾に疑問が生じるのは私だけではないはずです。
では、なぜ家庭料理が家庭内で受け継がれず、外に習いにいくようになったのか?そこには、歴史上、<断絶の時間>があったことが関係しています。

家庭料理断絶の時代

家庭料理が家庭の中で受け継がれなかったのには大きく分けて2つの断絶の背景があると推察されています。
最初のきっかけは、大正〜昭和初期。中流層のサラリーマンが増え、その妻達が台所にたつようになってきた。(余談ですがこの頃から主婦という言葉が一般化していきます。)
そして、職を求めて地方から都会にでてきた次男、三男の妻たちは、家で家庭料理を教えてもらえる環境になく、(家には昔ながらの料理を知るお姑さんがいないため)料理を習う必要があったといわれています。

ただこれよりももっと大きかったのが戦争を挟んだ前後の時代に生きた人たちといわれています。
特に昭和前半生まれ世代に共通するのは、家庭の中で受け継がれてきた家庭料理を知らずに育っていること。それはすなわち、戦中戦後の時代背景と重なり、食べるのに苦労したことや、戦後の急速な経済発展に伴い混沌とした時代を過ごしたことなどが重なると言われています。それぞれの理由できちんとした家庭料理を教わらなかった世代は、その子供世代に家庭料理を伝えていくことをしなくなります。それは、そもそも自身に家庭料理の基礎がないこと、また親から受け継がなかったため引き継ぐという発想がなかったなどの理由があります。
また、この頃になると、様々な調理家電が発売され、台所環境も大きく変わっていきます。またカップラーメンなど簡便に食べられる加工食品が次々と発売され、女性の社会進出がすすむ中で、自宅で手間暇かけて料理するだけが女性の役割ではないという価値観の変化もうまれます。そういった時代背景や、社会的な背景のもと、家庭料理が家の中で断絶され、はたまた料理をしない、または料理ができない人が増えたのではないかと考察されます。

それでも「料理をつくる」ことで家庭の味は伝承される

自身が料理を教わらなかった、はたまた食糧難の時代を過ごしそれどころではなかった世代は、家庭をもち、いざ料理をする段階になっても、家庭料理の正解の味がわからない。だからこそ、この世代の主婦たちは、料理の基礎を習得し丁寧に料理をする同年代の料理研究家に強い憧れをもつ。
そして、その下の世代には、封建的な社会観念(女性は家で家事を司るもの)を強要せず、時代の変化とともに教育や社会進出など自由な選択肢を願う気持ちが重なり、家庭料理が伝えられなかったのです。
但し、実際のところ、現代においても料理ができるは女性の理想なのかもしれません。事実、料理ができないことをコンプレックスとして料理教室に通う女性は多くいます。また、料理教室にいかないまでも、ネットで料理を検索してレシピをみたり、youtubeなどの料理動画を娯楽としてでも、見る人は数多います。料理ができることは、男性、女性に限らず、一つの特技であり、また誰かのために料理をつくることは愛情表現ともとらえられます。
家庭の味は断絶されたけれども、今の時代をいきる私達がそれぞれの置かれた環境で料理をし、そして自身が美味しいと思える味をつくれば、それがその人の味になります。その味を誰かのためにつくって食べてもらえたら、それはそれでその人の味、ひいては家庭の味の伝承につながるような気がしてなりません。

時代は変わり、便利な調味料や調理家電が登場し、私達の台所環境は戦前のそれと比較しても大きく変化を遂げました。肉じゃがや、サバの味噌煮といった伝統的な家庭料理も、いまやスーパーのお惣菜コーナーやコンビニエンスストアで手軽に高品質な味が手に入ります。これは、料理ができない、料理をしない世代が台頭しても、誰しもが料理名を聞くだけで、よだれがでるような懐かしくてほっこりするおふくろの味というのが、たしかに存在し、そして求められていることを意味するのではないでしょうか。

家庭の味は、断絶されましたが、それでも今、自分がいる環境で自分がおいしいと思える味をつくって人に食べてもらうことで、その人が生み出す家庭の味というのは自然と受け継いでいかれるものであると考えます。


<参考文献>
小林カツ代と栗原はるみ ー料理研究家とその時代ー 阿古真里著(新潮新書) 
「家庭料理という戦場」:暮らしはデザインできるか? 久保明教著(コトニ社)


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河合真由子|食マーケティングコンサルタント&社会人院生
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