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dancyu食堂(東京駅)

2022年9月1日、いつものように朝6時半に目を覚ます。アラームを止めるためにiPhoneを開くと、優樹からのLINEが表示されていた。

「お誕生日おめでとう」
今日で私は30歳になった。付き合い始めたばかりの彼に祝ってもらうことは気が引けたが、今夜は一緒にご飯を食べに行く約束をしている。彼と過ごせる嬉しさよりも、30歳の誕生日を1人で過ごさずに済んだ安堵の方が強いかもしれない。

いつものように、烏丸線に乗って職場に向かう。その時だった。鞄の中でiPhoneが鳴った。表示は母だ。地下鉄を下りて掛け直すと、電話越しからすすり泣く声が聞こえた。

祖母が亡くなった。95歳の大往生だった。最後まで施設に入らず牛久の自宅で、母の兄夫婦とともに過ごしていた。特に大きな病を抱えているわけでもなく、朝方起きて来ないのを不思議に思った伯母が彼女の部屋をのぞいたところ、息を引き取っていることが分かったらしい。安らかな最期だったという。年齢が年齢であるし、いつかこうなることはわかっていた。私は、母からの電話を切ると、課長に一報を入れ、元来た道を引き返した。荷造りをして、間に合う1番早い新幹線に乗らなくては。

優樹に断りの連絡を入れなくてはならないと気付いたのは、東京駅で上野東京ラインに乗り換えた時だった。優樹からはすぐに、「お祖母さんを見届けてきてあげて。お祝いはまた今度させてください」と返信が来た。祖母宅に直行すると、母方の近しい親族が集まっていた。お通夜は明日、葬式は明後日に決まったらしい。私は、日曜日の昼まで実家に滞在することになった。

3泊4日の滞在を終え、東京駅へ戻る。そう言えば、お昼を食べていないことに気付いた。この数日間は、自分の誕生日のことなど忘れるほどバタバタしていた。コロナ禍が始まって以来の帰省だったが、理由が理由だけにゆっくりすることなど出来なかった。そして、年齢が年齢だからと思っても、祖母との別れはやはり悲しかった。コロナを言い訳にして、ずっと帰れていなかったことを悔やむ。検査をするなりして何とか顔を出す方法はあったのに。

どこかで何か食べてから新幹線に乗ろうと思い、一旦JRの改札を出る。そう言えば、あのグルメ雑誌のdancyuがプロデュースした食堂が出来たというニュースを少し前に見たのを思い出した。

店に着くと、日曜日だからだろうか。昼食には少し遅い時間にもかかわらず、何組かが並んでいた。15分ほど待って、本日の小鉢定食を注文する。煮物にシュウマイ、冷やしトマト、ポテトサラダに甘い卵焼き、なんてことないラインナップだ。そう言えば、祖母の家で食べる昼ごはんもこんな感じだったなと古い記憶が蘇る。

dancyuプロデュースと聞いたので、もっと気取った店だと思っていた。実のところは、「ふつうの料理」をコンセプトにしているらしい。ふつうの、それが売りになる時代だ。私たち働く都会の独り者は、家でこんな何品もおかずを作ることなど出来ない。外食と言っても友人と行くカフェや夜の飲み会が中心で、実家で出てくるような素朴だけれども美味しいものを食べる機会は確かにあまりない。今回の帰省はそれどころではなかったので、本当に久しぶりな懐かしい気持ちになった。

祖母は、何人もの子どや孫に見送られた。果たして、私の死に際はどうなんだろう。身近な人の死を経験すると、否が応でも考えさせられる。家族は皆、30歳になっても結婚の気配のない私を心配した。そんな遠くの誰も親戚がいない街で、これからどうしていくつもりなのか。誰か良い人はいないのか。いたら早く紹介してほしい。「地元が同じ、年下の恋人ができたよ」という報告は、まだ早いと思ったのか、恥ずかしかったのか、何日も家族と行動を共にする中でもついに言えなかった。

結婚。俊介とはできると思っていた。というか、近いうちにすると思っていた。この私の30歳の誕生日。これがプロポーズのタイミングなのだとも。優樹とはいつまで続くのだろうか。始まったばかりで何だという感じだが、何となく将来像は描けそうになかった。

帰省中、1時間ほど、母と2人になった。母は、いつまでも若々しいと思っていたが、60を過ぎ年相応に白髪が増え、祖母の死もあって疲れた様子だった。みんなで、父や、婚約者のいる兄、とうの昔に結婚した従兄弟らといる時は、母も私の結婚を心配するそぶりを見せていたが、2人きりになると、思いがけないことを言った。

「愛ちゃん、みんな結婚、結婚うるさくてごめんね。結婚、確かに良いものかもしれないけど、他に何かやりたいことがあるならば、それでも良いんだよ。お母さんは応援してるよ」
「やりたいこと、か。私、別に何か特技があるわけでもないし」
「そうなの?大学に入ってから、成績はずっと良かったじゃない。大学の勉強、好きだったんでしょ?社会学だっけ?今でもずっと何か本読んでいるよね。もう一回勉強してみたい、とかはないの?」

母は、地元の短大を卒業してから、これまた地元の銀行で受付などの仕事をしていたが、父と結婚する時に辞めて家に入った。以来、30年以上専業主婦だ。そんな母と私とでは180度考え方が違って当たり前で、まさか母の口からそんな言葉が出るなんて意外でしかなかった。
「勉強ね。本読むのは好きだけど。そこまでちゃんと考えたことはなかったかも。でも、励ましてくれてありがとう」

華やかだと思って入ったメディア学科の授業は肌に合わなくて、同じ学部の社会学科の単位ばかり取っていた学生時代を思い出す。そう言えば、よく本を読んでいる研究者が京都市内の私の母校とは別の大学で教えていて、良いなと思ったことは確かにあった。でも、今からまたちゃんと勉強するなんて。具体的に考えたことは一度もなかった。

この数日間に思いを巡らせながら、味噌汁の最後の一口を飲み干す。祖母や母が作るものより、若干濃い気がする。祖母の味噌汁にはいつも卵が入っていて、ちょうどいい具合に煮えていた。帰りの新幹線を取らなくては。久しぶりに使ったスマートEXで、のぞみの発車時刻を調べた。


dancyu食堂
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