広東旬菜 一僖(京都・祇園四条)
「こないだ予約してた店は今日はもういっぱいみたい。何か食べたいものある?お誕生日なんだし、なんでも言ってね」
Surfaceの小ぶりなブラウザに表示される優樹からのLINEを見て、そんなの当たり前じゃないと独り言が出てしまう。今日は土曜日なのだ。いくら感染者数が増えて外出を控えるムードが強くなったとて、記念日用にしつらえられたこじゃれた店が埋まるのは決まっている。
「そうなんだ!全然気にしないで~。うーん。中華が食べたい」
私は、そうメッセージをキーボードに打ち込むと、さっきまで見ていたとある学者のブログを閉じて、市内にめぼしい中華料理屋がないか探し始める。優樹にすべて任せるのが筋なのかもしれないが、土曜日の飲食店の予約が取りづらいという簡単なこともわからないような人に任せるよりは、自分が行きたい店に行く方が有意義だと思ったからだ。すぐに、美味しそうな店が見つかる。祇園四条と書いてあるが、安井金毘羅宮のあたりだ。バスならお互い不便なこともない。誕生日当日は、祖母の死でそれどころではなくなってしまったが、こうして30歳の私をお祝いしてくれる男性がいることに、感謝しなければならないのは十二分にわかっている。けれども、やはり彼はまだ少年で、ものを知らなすぎるのだなと、ちょっとしたLINEのやりとりでも日々浮き彫りになり、その度に少し何かを削られる。
「ここ行きたい!」
私は、食べログのURLを送り付ける。すぐに既読がついたが、数分待っても返ってこない。私側が彼との関係に依存しているわけでは決してないと思うのに、この数分がむず痒い。皆そういうものなのだろうか。
「予約取れたよ!じゃあ18時に直接お店で!」
18時ぴったりに店に着くと、既に優樹がカウンター席に座っていた。
「お疲れ様。ここ、全然知らなかったけど有名なんだね。ビブグルマンってある。何飲む?メニュー見てたけど、どれも美味しそうだよ」
と言って、優樹がメニューを渡してくる。コースにしなかったんだな。いや、アラカルトで好きなものを食べられる方が嬉しいのだけれども、こういう誕生日や記念日の類では、相手に遠慮させないためにコースにするのが常ではないのか。調べたら値段なんてすぐわかってしまうけれども、そういう問題ではなくその場の気遣いの問題だ。と思って見たものの、頭上のボードに書かれたメニューはどれも魅力的で目移りする。自分で店を選んでよかったなと、数時間前の選択の正しさを思う。
「生ビールもらおうかな。ありがとう。美味しそうだね。とりあえず、前菜3種盛り頼んでいい?あと私、酢豚は外したくないんよ。優樹くんも食べたいの言ってね」
「うん。ありがとう。麻婆豆腐と…。あ、汁ソバって美味しそう。チャーハンも気になる」
「麻婆豆腐頼もうか。締めはあとでね~」
最初から炭水化物を言うのは若さなのか、幼さなのか。私はとりあえずそれを遮ってみる。
ほどなくして、前菜盛りが運ばれてくる。メニューには2人前とあったが、1人分ずつ小分けで出してもらえるのが嬉しい。話しながら何気なく口にした湯葉の美味しさに感動する。かかっているのは山椒だろうか。どれもビールに合うのだが、ビールを飲むのを忘れるほどだ。
「美味しい。愛佳さんの誕生日なのに変な感じだけど、愛佳さんにお店選んでもらって正解かも」
優樹は確かにあまり慣れていないが、味覚は何となく近いことがわかってきた。いや、美味しいものは誰でも好きだ。けれど、何を食べても美味しいと言わない男や、食べられたら何でもよいやと食そのものに興味のない男がいるのも事実であって、それに比べると、一緒に食事をする分に何も違和感のない優樹は申し分ないのかもしれない。食は、ずっとついて回る。恋人同士のデート期間中も、そのメインとなるのはともに食事をとることだし、一緒に暮らしてしまったらそれは日常になり、生活の上で何よりも大切な要素となる。
メインで頼んだ麻婆豆腐と酢豚が来た。思ったよりもボリュームがある。麻婆豆腐は少し辛かったが、油がしつこくなく、山椒の香りもほどよくあいまっていくらでもいけてしまう味だ。好物の酢豚はいわずもがな。今日はごちそうになる立場なので口には出しにくいが、この値段でこのボリューム、この味が食べられるなんて、さすがビブグルマンだ。最近流行りの町中華よりはもちろんずっと敷居が高いが、高級中華ほど値が張るわけでもなく、女友達とちょっと美味しいものを食べに行こうと言う時にも重宝するのではないだろうか。
「愛佳さん、今日は全然ビール減ってないね」
「あまりにも美味しくて。飲むの忘れてた」
「確かに、わかるかも。でももう一杯くらい飲もうかな。ビールで良い?」
せっかくなので、紹興酒をもらいたかったが、もしかすると優樹はあまり飲んだことがないのかもしれない。飲むより今日は味わいたかったこともあって、私は「うん」と頷く。
「締めは、やっぱりこの香りねぎの汁ソバかな。あ、でもあんかけチャーハンも捨てがたい。うーん。両方?愛佳さん、お腹どんな感じ?」
「私は両方いけるよ。せっかくだし、っていうのを私が言うのもなんだけど、それならどっちも食べようよ」
「愛佳さん、前から思ってたけど、ちっちゃいわりによく食べるよね?」
「そう?別に普通だと思うけれど」
確かに、体型の割によく食べると言われることは多い。学生時代のカフェバイトの影響だろうか。マスターはいつも大量の賄いを作り、私たちに食べさせることを生き甲斐としていた。むろん、当時は今より5キロ以上も太っていて、優樹が見たら驚くだろうが、日常的に多くの量を食べなくなっても、あの頃の名残で、今でも出されれば出された分だけ食べることができてしまう。今日のような美味しい店に来た時にはありがたい体質だ。
汁なしソバは、麺が思ったよりもずっと固く、細いが食べ応えがある。一方、汁はしつこくなく、トッピングがネギだけのシンプルなものであるからか、今からのあんかけチャーハンも余裕だ。
チャーハンの思いがけないボリュームに戸惑ったが、私たちは無事完食し、大きくなったお腹をさすりながら料理の感想だったり、この数日間のお互いの職場での出来事など他愛もない話をする。そろそろ行こうかとなり席を立つタイミングで、優樹が大丸の紙袋を私に差し出す。
「遅くなったけど、お誕生日おめでとう」
「ありがとう。嬉しい」
まだ付き合ったばかりだし、わざわざ良いのにという言葉を飲み込んで、私は喜んだ声を作る。純粋に、嬉しくないわけはない。
「愛佳さんに似合うと思って」
「開けてみて、よい?」
「うん」
ここでプレゼントを開ける。それが恋人同士においては何となくのマナーだと言うことは、30年の女の人生の中で学んだ。
袋を開けると、私よりは大分若い子向けのブランドロゴが書かれた箱が現れた。中には、巷で言われているものほど悪目立ちはしないが、ハートモチーフのネックレスが居座っている。
「ありがとう。今度付けてくるね」
「気に入ってくれてよかった」
私は悟られないように苦笑いをし、ネックレスをもとの箱に戻した。25歳の子に何を期待しているのだ。私は。
広東旬菜 一僖
京都・祇園四条
中華料理