ボタン(京都・神宮丸太町)
「優樹がまさか京都に来るなんて驚いたよ。地元好きだったじゃん。てっきりあっちに残って研究所か何かで勤めるとばっかり思ってたよ」
カールスバークの生ビールで乾杯しながら、サトルさんが言う。サトルさんは、高校時代に通った個別指導塾の恩師で、一昨年の春から京都市内の病院で外科医として働いている。学部は違ったが、その後、彼の通っていた大学に入学して後輩となったこともあって、こうして縁が続いている。
「ごめん。子ども生まれたばっかで。声かけてもらってたのに今までずっと時間取れなくて」
「いや、気にしないでください。それよりおめでとうございます。サトルさんが父親なんて、時が経つのは早いですね。なんかすっかり大人の男性って感じで憧れます」
まずは一品、と思って頼んだオリーブのフライをつまむ。オリーブと言えば、そのままでしか食べたことがなかったが、フライもいけるなと思う。衣は薄く全くしつこくない。いくらでも入りそうな味だ。サトルさんときちんと話すのは、一昨年の3月以来だからもう2年半ぶりだ。昨年暮れの結婚式では、主役である彼と話す機会など当たり前にほとんどなかった。
「家も買ったんでしたっけ。さすが医者です。奥さんも可愛い人だったし。同じ病院の看護師さんですよね?サトルさんは全部持ってるなあ」
「そんなことないって。優樹もいい会社入って安泰じゃん。俺なんかよりずっと顔も良いんだしこれからさらにモテるでしょ。で、最近どうなの?仕事も、そっちも」
「仕事は、まだ研修って段階でなんとも言えないんですけど、周りには恵まれているかなと思います。そっち。ええと。最近、彼女が出来たんですけど」
「さすが、イケメンは違うな。会社の子?」
「いや、言いにくいんですけど、飲み屋で出会った子で。子、というか。5歳年上なんです。で、茨城出身で」
「なるほどそれで運命感じたわけね」
サトルさんは、一見何も考えてないように思われることも多いが、意外と鋭い。あの初夏の日、確かに運命を感じた。まさにその通りだった。大人びた(というか大人なのだが)容姿も好みだったし、言葉が近いから話してて安心感がある。会話のテンポも心地よく、さりげなくリードしてくれるところも、まだこの街に来て日が浅い時分にとってはありがたい。
「でも、優樹が年上に行くって珍しいじゃん。いつも、若い子ばっかりじゃなかったっけ」
店の名前が【ボタン】ということで、どうやらイノシシ肉を推しているらしい。ソーセージを頼んだが、ド迫力のビジュアルだ。
「あ、なんか違う」
「え?年上の話?」
「いや、このソーセージです。イノシシ肉ってよくわからないけど、普通の豚肉のとは違うってのはわかります」
「ああ笑 本当だ。美味しいなこれ。まあ、今日は飲もう」
赤ワインをボトルで頼むことにする。マスターにおすすめを聞くと、3000円台のものを中心に持ってきてくれたので、胸をなでおろす。今日の会はサトルさんの奢りになるだろうが、いくら高収入な医者とは言え、子どもが生まれたばかりの彼にたかるわけにはいかない。
「俺も好きだったんだよなあ、年上の女性。あ、今の奥さんと付き合う前の話ね。背筋がすらっと伸びて凛としていて。憧れたなあ。それも飲み屋で出会った人だったんだけど。結局付き合うまで至らなくて終わっちゃったんだけどね」
「その話、初めて聞きました。え?京都に来てからですか?」
「そうだね。ちょうど、京都に来て最初の夏くらいかな。あ、断じて被ってはいないからね」
「被ってても何も言いませんよ。そうかあ。でも、俺は上手くいってみせますね。あ、今度紹介しますよ。確か、お兄さんがいて、うちの医学部出身とか言ってました。サトルさんと同じくらいじゃないかな」
「本当?まあ機会があったらよろしくね」
何かがっつりしたものをということで、イノシシ、鹿、他にも種類があり迷ったが、ラム肉のステーキを頼む。
「これ、大正解。全然臭くないし、レア加減もちょうど良いな」
「サトルさん、こっちきて美味しいものたくさん食べてるんじゃないですか?そんな感想言う人でしたっけ?」
「まあ昔よりはね。こっちは店も多いし。さっき言った年上の女性が、飲食関係の会社に勤めていて、色々教わったんだよね。何してるかなあ、レミさん」
サトルさんの目が潤んできた。京都に来たばかりの彼を夢中にさせたレミさんとは、どんな人だったのだろうか。何も詳しく聞いていないのに、会ったら自分も好きになってしまうような錯覚を覚えた。
「とにかく、彼女、大事にしなよ。地元の子なら親も安心だし。いずれ連れて帰るとかも出来るだろうし」
「そうなんですよね。もう25歳だし、色々見据えて付き合いたいなと思っています」
「25歳。まだまだ若いって」
明日も朝から仕事だ。仕事、と言ってもまだ研修の身で、偉そうなことは言えないが、毎日決まった時間に働くと言う行為は、学生時代が長かった自分にとってはやはり慣れない。22時、京阪電車に乗りながら、彼女に他愛もないLINEを送る自分はまだまだ子供だ。
ボタン
京都・神宮丸太町
バル・肉料理