過去の自分たちが今の自分を押す
おはよ、
また朝だよ。太陽は懲りないね〜
まだ眠たいのに、眩しい光が目を覚まさせる。
外に出れば、冷たい風に、人々の足音と共に強ばった表情。カチコチな顔を歪ませ、焦る人。
その人にとって、その時、時間を守るべき大切な用事があるんだろうなと勝手に思い込む。
電車に揺られ、どこまで行くかなんて、だいたい決まってる。学校?お仕事?お出かけ?の大きくわけて3つな気がした。(学校も仕事も同じ分類なのかもだけど、どっちだっていいか、。)そんなことを考えていた。
朝を楽しく迎えられるために、SNSを開いた。SNSは、自慢大会だとつぶやく人もいる。自分の世界に浸って、いたいけど、おすすめ欄は、トレンドをキャッチしてお知らせしてくれる。目が疲れるほどの量に驚きながら、スクロールを繰り返す。
時々、病む。こんな自分がいることに、。
自分なんて、存在してなくても、世界は動くし、誰も私を応援なんてしてないって、。だれも、ぼくの投稿を楽しみにしていないって、そう思い込もうとする思考回路が不快へと導いてるのかもしれない。気づいてる。ぜんぶ、気づきたくなかった。自分が自分に気づいた時、何もしてあげられない自分が目の前にいるからなのかな。
スマホが風で少し浮いた、その瞬間、また掴もうとするのは、壊したくないから?はなしたくないから?
まだ、文字を打ち続けて、誰かに届いて欲しいから、なんじゃないかな、。
SNSに戻れば、自分の投稿を繰り返し見てみる。自分の顔を見たくない日もあるけど、見れる時は、見れる。
「あの時は、楽しかった。」「この時、ほんとに笑ってるようにみえる!」「この時は、辛そうだったな」
写真や動画から、感じる雰囲気みたいな、
オーラ?から、伝わってくる。
テレビに映る人も疲れ切っているようじゃ、
みんな疲れてるに決まってる。
疲れの中にも、楽しさもあることも知ってるけどね。
遊園地の後、疲れていても、写真を見返して、
「楽しかったな」って、微笑んじゃってさ、
過去の自分の姿から、
笑顔までもらっちゃって、。
(おかしいなんて、思わないでよね、)
なんらかのデータから喜ぶことは、誰だってあるでしょ。
素敵な本を見つけて、喜んで、ページを開いて、感情を動かした経験。そんな感じと似てると思う。
この文章もその1つ!
これからのわたしの背中を押してくれる、勇気づけてくれる、お菓子みたいな?!
何個あっても、いい!
おいしくて、甘いの。
苦くても、腐っても、すべて、自分の作りだしたもの。無理に食べなくても、捨てても、誰かとわけちゃってもいい!!
そのお菓子を食べたら、頑張れちゃうって、ほんの少し思えたら、いいよね、、。
食べ物や調味料にストックが必要なように、過去の自分が残しておいたものを、見返して、元気になれちゃったら、なんだってできる気がするけど、それは、これから先の話なんだろうな…