今日の帰り道の頭の中。
自分で、歩く方角を決めていいはずなのに、心で思ってることができない。
数分後にここに行ってれば、楽しくショッピングとか、素敵な景色眺めることもできるのに、選択ができない。
ずっと、空欄のいくつかの選択肢を見つめては、「とりあえず、1番上でいいかっ」って、なってる。不思議と自分で判断してないように見えて判断していて、歩かされているような道の続く感覚は、自分で決めていることなのかもしれない。
自我があるはずだと思い込みたい。
結局、お前は人形のままでいたいのか、。
そう自分に問いかけたところで、返事も何も帰ってこない。見え見えの先を変えたいと思いながら、変えようと動けないのは、何なんだろう。
実は、さっさと落ち着きたいからなのかもしれない。
どこにも自分が存在しないような気がした、
11:54に、目が止まった。
1分間が長く感じた。
この書き込みは、本当に機能しているのか…。
スクリーンショットで画面が止まったかとも一瞬、思った。
時間は長いように見えて、短いこともある。それも、どのような感覚なのか知ってるはずだけど、大雑把に、楽しい時、集中してる時が短く、授業中とか時計を気にしてる時が時間が遅く感じていることだと思ってる。
楽しい時間という言葉の意味も様々だから、全部多様なんだろうけど、、。
決断が曖昧なのは、そこまで行動したくないということになるのかなと思う。
自分で決められないから、ルーレットやサイコロなんてしてる場合はなくて、電車はすぐにくる。誰も待ってないし、時間は待ってくれない、過ぎてくだけ。どうしようもない自分の足は、いつもと同じ通学路を歩くしかない。同じ月曜日ではないけど、同じ感じに進む。
身軽なくせに、軽くないリュックを背負ってるけど、現実の中で現実逃避できる景色と出会えるといいよね。
おやすみ。