楽チンな生き方
昔、誰でも彼でもみんなタバコを吸っていた頃、歩きタバコも当たり前だった。
その、歩きタバコをする時の持ち方が人によって2種類に分かれていたのだ。
むかーーーしの映画なんかを観ると、かっこいい主人公はタバコを吸っていたし、そのタバコを地面に落して靴でぐいぐいっと踏み消す動作が
かっこいいと思われ ていたりしたのだった。
歩きタバコをするときの、かっこいい持ち方は、
指で挟んだタバコを外側に出し て持つ持ち方。
しかし、「内タバコ」と言って、手のひら側にタバコを持つ持ち方が有った。
親指と人差し指でつまんで、手の内側にタバコを向けるのだ。
手のひらがほんのり暖かいのだった。
これは、外に出すと他人に当たったりして危ないし迷惑なので、
誰かにぶつかっ ても、火が付いた部分は自分の手に押しつけられるだけで
済むからなのだった。
人に害を与えてしまうよりも、自分に害が及ぶほうが良い、と考える考え方で、これは「当然のこと」だと思っていたし、今でもそう思うのだ。
ウェイターのアルバイトをしていたとき、トレイの持ち方を教わったのだった。
あ、危ない!と思ったらトレイごと
自分のほうにぶつかる様に持ちなさいと教わっ た。
トレイの上のコーヒーやら水やらが、全部自分にかかる様に、
トレイが自分の胸 の前に来る様に持つのだ。
昔は人様に迷惑をかけるくらいなら、
自分が損したほうが良いと考えるのが普通 だったと思う。
それがだんだん変化してしまっている様に感じる事が有る。
しかし、こういう世の中になった今でも、
自分が損する方が合理的なのではない のだろうか。
人にコーヒーをかけて弁償するよりも、自分がちょっと熱い思いをすれば、
それ で済むのだ。
金勘定だけで生きている人にとっても、
自分が損するほうが合理的なのではない だろうか。
ズルをするよりも、正直でいたほうが、
はるかに楽に生きていられるのではない だろうか。
昔は、大人から「情けは人の為ならず」などと教わったものだった。
この、「情けは人の為ならず」という言葉、解釈が二通り有る様に思える。
まごころとして、道徳心として、人には良くしてあげましょうよ、という考え方と、そうすれば結局は自分が得をするのだよ、という考え方。
その両方の事を言っている言葉なのだと思うのだけれど、
前をメインに考えるか、 後をメインに考えるか、人によって思う事が違う様だ。
だけど、どっちにしろ、目先の損を嫌うよりも、
相手に損をさせない様にしたほ うが、自分には良い
という事に変わりは無いのだと思う。
金銭で損してもいいから、正直に生きているほうが、
ずっと楽チンだと思うのだ けれど、、、。